2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Rosier, The Fallen

 息抜きに書いてみた妄想用小話。第一話みたいな。全年齢対象です。
 続かないと思いますが続くかも知れません。
 タイトルなどの元ネタがお分かりになる方もいらっしゃるかも。


「――見よ!」
 驚きと困惑のざわめきの中でも、その声は一際よく通った。
「彼らは間違っていたのだ! 私は変わらぬ! 今も、そしてこれからも!」
 足元に倒れ伏す、山羊の頭をした巨体の大悪魔にその漆黒の剣を突き立て。
 白銀の鎧を、暗雲の中から差し込んだ光に輝かせて、彼はそう宣言した。
「黙れ! ――奴は堕落した! 捕らえよ!」
 応えた野太い声は激しい憤りを伴い、それによって場の混乱を収めようとする。
 だが、誰もがその立ち位置を動こうとはしなかった。せいぜいその手に収まっている白銀の剣や槌を構え直すのが精一杯で、立ち向かっていく者は一人としていない。
 そもそも、身の丈が常人の三倍はあろうかという大悪魔を僅か三合で下した聖堂騎士の英雄に、誰が立ち向かえるだろうか。
 英雄は周囲から様々な視線で己を見つめる、かつて同僚であった者達を一瞥し――その中に、一際背丈の低い聖堂騎士の姿を見つけ、そして再び叫ぶ。
「己が目で、己が頭で、今、私が成したことを考えるのだ! 我々が仇なすべきは、いかなる姿をしているのか、と!」
「堕落した者の甘言に耳を傾けるな! 奴は既に悪魔の手先となったのだ!」
 打ち消すように放たれる言葉に英雄は関心を向けず、己が言葉を終えるとすぐさま踵を返した。悪魔に突き立てた禍々しい漆黒の剣も、傍に打ち捨てた輝かしい白銀の剣も執らずに、無手で悠々とその場を立ち去っていく。
 聖堂騎士の印章が編み込まれた外衣を纏った背中が、人々の波を割って小さくなり、城門の向こうへ消えていく。

 それが、聖堂騎士アリアスベインが最後に見た、聖堂騎士ロジェールの姿だった。


 地獄界に蔓延る邪悪なる者どもの魔手から人類を護る聖堂騎士。
 その立派で高貴な任に就くには、幼少の頃からの厳しく長い鍛錬が必要になる。
 まず、聖堂騎士になりたいと願う子供達は六歳から十二歳までの六年間を神聖教会の騎士学校で過ごす必要がある。
 ここでの鍛錬は非常に厳しいものであり、鍛錬に付いて行くことが出来なかった者や精神的に聖堂騎士として不向きと判断された者はここで別の人生を歩むことになる。
 その後、十二歳から十五歳までの三年間を聖堂騎士見習いとして、師となる特定の聖堂騎士の下で任務を勤める。
 これも厳しいものであり、見習いと言えど一般の聖堂騎士とさほど変わらぬ扱いをされるため、邪悪なる者どもとの戦いの中で満足に役目を果たすことなく命を落とすこともある。
 以上九年が終われば、晴れて一人前の聖堂騎士となれる。

「聖堂騎士ロジェールは『誓いの騎士ロジェール』とも呼ばれることのある名誉ある聖堂騎士だ。
 その剣の一閃は万の悪魔を慈悲もなく斬り払い、その神術の極光は見渡す限りの荒野を蘇らせるという。
 あらゆる悪魔との戦いで常に先陣を切り、首魁を一合で討ち取り、味方の背中を護りながら最後に戦場を脱する。
 その姿はあたかも……」
「もう止めてくれよ」
 若い男の苦笑いの声が、賞賛の並ぶ麗句を遮った。
 時刻は正午前。城壁に囲まれた街を見渡せる小高い丘に、二人の騎士の姿がある。
「よくそんなに褒められるもんだ。ずっと見てたわけでもないだろうに」
「でも、僕はこれ間違ってないと思いますよ?」
「アリア、君はいつ俺のそんな姿を見たんだ。いくらなんでも誇張しすぎだろう」
 二人の騎士は、片方――背丈が高い方が草原に寝転がり、もう片方――背の低い方が本を片手に背の高い方の傍へ腰を下ろしている。
 日の光に輝く白銀の鎧だけでも二人の所属は明白であったが、肩当てに刻まれた十字架と槍の印章がそれを確実にしていた。
 神聖教会所属の、聖堂騎士。
 光の神の名の下に、この創造界を地獄界の者から護る、人間の矛であり盾となる存在。
「第一、そこに書くなら俺より適任な人がもっと居るだろうに。セヴァリアとかアーガラズとか」
「凄いと言えば凄いかもしれませんが、あの二人はとても偉人や英雄とは呼べないでしょう」
 苦笑しながら言って、背の低い騎士――アリアと呼ばれた方が、その手にある本のページを読み進める。本の背表紙には「光の偉人・英雄伝」とある。その目次に並んでいる名前はどれもアリアが騎士学校時代に覚えた名前ばかりだ。
 その誰もが、創造界を侵略せんと地獄界より這い出てきた強大な悪魔と戦って勝利を収めた栄光と名誉ある人物の名前である。
 名簿のようなそのページの端、比較的最近の人物の名前がある場所に、ロジェールの名前はあった。
 そして、その本人はこう言う。
「何を言うんだアリア。セヴァリアやアーガラズが何をしたか、知っていてそんなことを言うのか?」
「セヴァリアは人間の身で死霊術を研究していた魔女ですよね。アーガラズは世紀の大泥棒」
「……君はもう少し、騎士学校以外で勉学の機会を持った方がいいんじゃないか」
 少しだけ呆れた様子でそう言って、ロジェールは上体を起こした。輝かしい白銀の鎧が澄んだ音を立てる。
「でも、事実そのはずですよ」
「確かに、ふたりとも手放しに褒められるほど崇高な人じゃない。でもそれなら俺だってそうさ」
 篭手に包まれた手を眼前に翳しながら、ロジェールは言う。
「この前のことだ。死霊術士の男を討伐した後、その妻と娘の処遇をどうするかで俺は司祭様に聞いた。アリア、司祭様はどう答えたと思う?」
「法典の第二条五項に基づいて、その妻も娘も処罰によって穢れを払うべき――ではないですか?」
「そう。正解だ」
 少年のような少女のような若い中性的な声に、肯定で返すロジェールの声。
「だからそのふたりは後ほど聖火によって焼かれ、神の元に召された。だが俺の耳には、未だにあの嘆願が残っているように思う」
「そんな――」
 アリアは思わす言葉を失う。邪なる者の言葉に耳を傾けることは、それだけで軽くはない罪となるからだ。
 だがロジェールは深い息をひとつ吐き、更に続ける。
「本当にあれで良かったんだろうか? 妻と娘は男のように穢れていたんだろうか。いや、そもそも男は死霊術士として何か行動を起こしたわけじゃない。ただ学んだ形跡があっただけだ。男は本当に穢れていたんだろうか」
「死霊術は邪な術です。それを学ぶことは穢れていることの証です。悩むようなことじゃありませんよ」
 死霊術はその名が示す通り、死者の肉体やその霊魂を操る術だ。死と腐敗が付きまとう呪術であり、これによって引き起こされた事件は挙げれば切りがない。
 それに死者を操るという行為は、生命を尊いものと定めた神聖神への冒涜だ。
「そうなのかもしれない。だが俺は悩んでしまった。それが例え一瞬であったとしても、法典に照らし合わせれば俺は褒められるような人間じゃない」
 そう口にして悩むロジェールのことを、アリアは思慮深く慈悲深い人だと思った。
 例え穢れた者であってもその言葉に耳を傾ける。聞き入れることはないにしても、その姿勢は褒められるべきもののはずだ。そして、その姿勢が正しいのかどうかを自問している。
 神聖神の名の元に正しい道を進みながら、己の道が違っていないかを常に考えている。だからこの人はこんなにも眩しいのだろうと、アリアはそう尊敬の念を抱いていた。

 その後もロジェールは聖堂騎士として輝かしい功績を上げ続けた。
 東に赴いては悪魔崇拝者を裁き、西に赴いては生ける屍を鎮め、北に赴いては邪悪な教団を壊滅させ、南に赴いては死霊術士の一団を粛清した。
 疑いようのない実力を認められて大隊長に昇進し、偉人や英雄を讃える書物において彼についてのページは更に増えた。
 そしてそれに伴ってアリアも実力のある聖堂騎士として成長し、見習いを終える十五歳を迎えたその年の始めのこと。

 その事件は起こったのだ。


「――本当に、何もなかったのかね?」
 厳しい詰問の声に、アリアはか細い声で、はい、と答えた。
 神聖教会の大聖堂が存在する帝国王都。そこを襲った大悪魔の襲撃事件。
 聖堂騎士ロジェールはその大悪魔を討ち取り――堕落した。
 大悪魔を召喚する際に触媒として使われた魔剣。それを使用したこと、出来たことで、彼は堕落したとされたのだ。
「ふむ…… もしも奴を庇い立てするというのなら。騎士アリアスベイン。お前も堕落したと見なされることになるのだが」
 意地の悪い笑みを浮かべ、小太りした中年の男――ゼルヴェ司祭はそう告げた。
 それに対して、アリアはその中性的な顔をはっと上げ、必死な声で訴える。
「そんな―― 何もありませんでした! そんな、証拠なんて」
「本当にそうかね? 誰かと内密に会っていたとか、一人で出掛けることがあったとか、そういうことは?」
「本当に、なかったんです……! 信じて下さい、司祭様!」
「君はいつも奴と一緒にいたのかね? そうではないだろう?」
「確かに、そうですが……!」
「ならばその間に奴が邪悪なる者と接触していた可能性は否定できない。君は見逃してしまったのだよ」
「そんな――」
 そうゼルヴェは哀れにアリアを見て、それから険しい顔を上げる。
「皆の者! 騎士ロジェールは己が監督すべきであるはずの騎士アリアスベインを欺き、邪悪なる者と接触していたことがもはや明白となった! かのような卑劣なる者が堕落していないはずがない! 奴は――」
 ゼルヴェが、彼とアリアが位置する席を取り囲むように位置する聴衆席に座った騎士達や民衆に対してそう声を上げるのを耳にして、アリアは目の前が真っ暗になっていくような感覚を覚えた。
 教会はどうあってもロジェールを堕落した者として位置付けるつもりなのだ。
 勿論、堕落した者に対して神聖教会が厳しい処断を成すことはアリアもよく分かっていた。
 だが、ロジェールは未曾有の悪魔災害を未然に防いだのだ。それが考慮されると思っていた。
 それなのに――
「堕落せし騎士ロジェールを神聖教会の名の下に堕落者として決定する」
 ついに大司祭から最後の言葉が告げられ、アリアはただ顔を真っ青にしながら座っているしかなかった。

「――大丈夫かね?」
 聞き覚えのある重く落ち着いた声に、アリアははっと顔を上げた。
 見上げた先にあったのは、まるで岩石のように厳つい顔をした巨躯の司祭。
「ラティスマーレ司祭、様……」
 アリアが反応したのを受けて、ラティスマーレは踵を返した。
「ここでは何だ。私の部屋に来なさい」
 その広い司祭服の背中をアリアの視界に曝し、後に付いて来るよう促す。
 気付けば審問場にはアリアとラティスマーレのふたりしか残っていなかった。振り返りもせずに歩を進めるラティスマーレを追って、アリアも慌てて審問席を立った。


 帝国王都に存在する大聖堂はこの世界で最も巨大な建造物であり、宗教として最多数の信者を抱える神聖教会の総本山でもある。
 礼拝の場としてだけではなく裁判や議会が行われる場所でもあり、また帝国常備軍に次ぐ戦力を持つ聖堂騎士団の総司令部でもあるという、神聖教会を象徴する建造物であることは間違いない。
 そんな大聖堂の一室、ラティスマーレ司祭のために貸与された白亜の部屋の中で、アリアは鎧格好のまま椅子に腰掛け、落ち着くことも出来ずにただ呼吸を繰り返していた。
「まったく、ゼルヴェ司祭にも困ったものだ」
 ラティスマーレは顎を撫でながらそう呟くように言い、机を挟んでアリアの対面に腰掛け、じっとアリアの濃青の瞳を見つめた。
 鎧を着込んだアリアよりも一回り以上大きい彼の視線に射抜かれて、しかしアリアはこれ以上ロジェールを不利にするものかと意を決して口を開く。
「あの、僕は――」
「言う必要はない」
 しかしそこから出ようとした言葉はすぐさまラティスマーレによって遮られた。
「伊達で騎士ロジェールと君の管轄だったわけではない。殆どのことは把握している」
「で、では――」
「いや」
 厳つい顔に厳しい表情――ある意味で無表情のまま、ラティスマーレは僅かに希望が込められたアリアの言葉を再び遮った。
「騎士アリアスベイン。君には残念だが、ロジェールが堕落したことは動かしようのない事実であることには変わりがない。私が出来ることは、君はロジェールの堕落には無関係だった、と言うことだけだ」
「そ、そんな……」
「それよりも、だ」
 一度言葉を止めて、ラティスマーレはより強い口調で次の言葉を綴る。
「騎士アリアスベイン。君にはオルガーレン山麓の村、ポルトに赴任が決まった」
「赴、任?」
「そうだ。君は今年の叙任式で聖堂騎士見習いを終える予定だった。だがロジェールがいなくなった以上、君は今日付けで見習いではなくなる。故に見習いを終えた聖堂騎士の最初の任務である、地方への赴任、そして一年の逗留を果たさなければならない」
「そんな、赴任なんて」
「拒否はできない。それに騎士アリアスべイン、君のためでもある」
 そう言って、ラティスマーレは再び腰を上げた。
「ポルトは長閑な村だ。主産業は畜産。人口は百にも届かず、礼拝所は築五十年を超える古いものがひとつだけ。しばらく聖堂騎士は赴任しておらず、住民の不安が募っている」
「ですが――」
「そして、かつての聖堂騎士ロジェールが見習いを終えた後の一年間、赴任していた場所でもある」
 なおも訴えようとしたアリアの言葉を、ラティスマーレはその言葉で封じた。
「あれから七年。ロジェールを最後に他の聖堂騎士は赴任していない。特別な理由はなく、単に人手が足りないというだけなのだが…… 不満か?」
「い、いえ、そんな…… です、けど」
 アリアは口籠もる。敬愛する騎士であり師ロジェールが赴任していた場所。彼の始まりの第一歩とも呼べるそこに赴任するに当たって不満などあるはずがない。
 けれども、自分がここを離れてしまっては、ロジェールの立場はより悪いものになっていくに違いない。
 しかしそんなアリアの思いを見透かすかのようにラティスマーレは言う。
「君がここを離れていても、ロジェールの立場は良くはならないし、悪くもならない。堕落したとされた以上はそれが覆ることは有り得ないし、それ以上の悪評は付きようがないからだ。それは分かるだろう」
「……はい」
「では、これを持て」
 ラティスマーレの言葉を飲んだアリアの眼前に差し出されたのは、古惚けた赤銅色の小鍵。
 受け取ったアリアの手の中で小さく音を立てたそれは、どこにでもありそうな形をしていながら、何故か重苦しい雰囲気を放っていた。
「ポルトはここ帝都から馬でおよそ七日間の距離だ。準備が出来次第発て。一月毎に報告書を送ることを忘れないように」

 大聖堂を何度も振り返りつつ歩いていくアリアの姿を、ラティスマーレは部屋の小窓から見ていた。
 その広い背中に野太い声が掛けられる。
「本当にこれで奴の手掛かりを見付けられるのであろうな?」
「恐らくは」
 答えながらラティスマーレは振り向く。その視線の先には小太りの中年司祭――ゼルヴェの姿があった。
「騎士ロジェール付きの見習いであった騎士アリアスベインならば、何かしら気付くこともあるでしょう。上手くことが運べば、一網打尽ということも可能であるかも知れません」
「そう上手く行けばよいがな」
 ふん、と鼻を鳴らしてゼルヴェはラティスマーレの部屋を出て行く。
 その丸みを帯びた背中を見送って、ラティスマーレは椅子に腰を落ち着けた。


 まだ春遠く肌寒い空気の中、アリアは旅荷物と一緒に馬で七日間の行程を進んだ。
 最初の三日は大街道の上で馬に揺られながら、ロジェールは今何をしているのかということばかり考えた。
 帝都にいる間にあの事件から三日が経過したが、ロジェールがどこに消えたかという話はアリアの耳には入らなかった。
 神聖教会の上層部は何か掴んでいるのかも知れないが、それを教えて貰えるわけもないとアリアは思う。
 帝国のあるこの大陸では、神聖教会の権力はほぼ全域に及んでいる。それを避けようとするならば、まずロジェールは港に向かうことだろう。
 ならば、あれから計五日。まだロジェールはこの大陸を離れていないかもしれない。
 今から追いかければ、まだ間に合うかも知れない。
 しかしアリアがそれをすることは、任務を放棄することになる。
 実質ロジェールの後任としてポルトに向かうというのに、それを放棄するということは、神聖教会の名だけでなくロジェールの名を汚すことにもなる。
 そんなことがアリアに出来ようはずもなかった。
 次の三日は森沿いの小街道を進みながら、何故ロジェールがあのような行動を取ったのか、ということについて考えた。
 あのような、とは、あの事件での最終局面。
 現れた大悪魔の放つ禍々しい瘴気を前に、騎士達が怯んだその瞬間。アリアと共に到着したロジェールは迷うことなく騎士達の間を突き進み、大悪魔の元に躍り出ると腰の長剣を抜き放って、その刃に金色の光を纏わせ、大悪魔の最初の一撃を受け止めた。
 凄まじい閃光と衝撃。アリアの視界が回復した時には、ロジェールは光を失った長剣を既に打ち捨て、街路に描かれた魔法陣の中心にあった、大悪魔召喚のための触媒となった魔剣を引き抜いていた。
 大悪魔と共に禍々しい瘴気を放つ魔剣をロジェールは天に翳し、そこに金色の光を纏わせる。金と闇、ふたつの色が入り交じった輝きに大悪魔が僅かに気押された瞬間、ロジェールは魔剣と共に突撃した。
 最初の一撃で、大悪魔の放った青い炎弾が弾かれ、消え失せた。
 次の一撃で、大悪魔の瘴気を纏った爪による攻撃が弾かれ、相殺された。
 そしていち早く態勢を立て直したロジェールの一撃で大悪魔の胴は貫かれ、魔剣が纏っていた瘴気と金色の光の全てがその傷口から流れ込んだ。
 瞬間、身の毛がよだつ断末魔を上げて、大悪魔は倒れた。
 疑問なのは、何故ロジェールが魔剣を執ったのか、ということ。
 魔剣は強い瘴気を持つ武器であり、堕落した者が使うものだ。当然、それを使えば堕落したと見なされることはロジェールも分かっていたはずだ。故にその理由は、大悪魔を倒すのに必須であったからということになる。
 しかし悪魔は不浄の生物の例に漏れず、瘴気を糧に生きると言われている。その証拠に、奴らは瘴気が充ち満ちている場所でなければ長時間存在出来ない。そんな存在に、瘴気の塊のような魔剣の攻撃が何故通用したのだろうか。そしてロジェールはどうしてそんなことを知っていたのか。
 アリアは考えたが、どうしても自分で的確だと思える答えを出すことは出来なかった。

 そして、残りの一日。

「――うん?」
 山裾に広がる森の中の小道を馬に揺られて進んでいたアリアは、小道を塞ぐようにして止まった馬車と、その傍に立つひとりの男の姿を見つけた。
 遠目から見ても、中年の男の――いかにも商人といった風体の男は疲労困憊といった様子で馬車に寄り掛かり、肩を上下に揺らしている。何か事故でもあったのだろうかと、アリアは馬を早めた。
 ある程度の距離まで近付くと馬の蹄の音が耳に届いたのか、振り向いた男は驚きの様子でアリアの姿を見つめ、すぐさま喜色を満面と浮かべた。
「――騎士様! お願いです、助けてください!」
「どうかなさいましたか?」
 荒い息を吐きながら駆け寄ってきた男に、アリアは馬上から落ち着いて問い掛ける。
「家内が急に体調を崩しまして、急いでポルトに行こうとしたら馬車の車輪が外れまして……!」
「分かりました」
 落ち着いているアリアの分までもと言わんばかりに慌てて早口で捲し立てた男の言葉を遮って、アリアは馬を降り、擱座した馬車の元まで鎧を鳴らしながら駆け寄った。
 開いた幕の中、薄暗い馬車の中で藁布団の上に横になっているひとりの中年の女性の姿を見つけ、アリアは、失礼します、と断ってから馬車に上がり込んだ。金属が擦れる音に、女性が薄らと目を開けてアリアを見る。
「き、騎士様……」
「大丈夫です。すぐに良くなりますから」
 辛そうに荒い息を吐き、少なくない脂汗を浮かべる女性を見て、アリアは篭手に包まれたままの手を女性の額の上へと翳し、精神集中のために軽く瞼を閉じた。
 想起するのは金色の光。あらゆる魔と邪と不浄を打ち払う、聖堂騎士の証たる輝き。
「――っ」
 瞼の奥で何かが光ったその瞬間、強く念じながらアリアは眼を開いた。
 次の瞬間、翳したアリアの手から想起通りの金色の光が湧き起こる。
「お、おぉ……!」
 その一部始終を外から見ていた男は、思わず感嘆の声を漏らした。
 アリアの手から湧き起こって渦を巻く光は、その動きを僅かに止めたかと思うと、次々と女性の額へと溶けて消えていく。
 すると瞬く間に女性の表情からは苦しみが消え、呼吸も穏やかなものへと変わっていった。
「いかがでしょうか?」
「あ…… 楽になりました。ありがとうございます、騎士様」
 上体を起こして一礼する女性にアリアも会釈を返し、馬車を降りる。
 ちらと横目でアリアが確認すると、馬車の積荷は街で見かける日用品が多く積まれていた。恐らくはポルトへこれらを売りに行く途中なのだろうと予測を立てる。
「本当にありがとうございます、騎士様! 何とお礼を申し上げればよいか……!」
「お気になさらず。それより、この馬車を立て直しましょう。手伝います」
「おお……!」
 瞳を潤ませながら、ありがとうございます、ありがとうございます、と感謝の言葉を繰り返す男を宥め、アリアは男と共に馬車を立て直した。と言っても実際にアリアがやったことは、男が車輪を戻す間、その細腕に込められた聖堂騎士としての筋力を発揮して馬車を持ち上げていただけなのだが。
 全てが終わり、再び動き出した馬車と並走しながら、アリアは重ね重ね告げられる男の礼讃に落ち着いて対応した。旅の聖堂騎士がこうして助力を求められることは少なくない。そして聖堂騎士たるもの、助けを求める声を聞き届けないということはしてはならない。それがアリアの信条であり、師であるロジェールの信条だった。
「――おお、ということは、アリアスベイン様はポルトにご赴任を!?」
「はい。一年だけですが、お世話になると思います」
「では、何か要入りの物がありましたら、是非私夫婦のロベルタ雑貨店にお越し下さい! ポルトで生活するに当たり、必要なものは取り揃えておりますので!」
「ありがとうございます」
 商人の男女――ロベルタ夫妻はポルトで雑貨屋を営む商人とのことだった。
 帝都にポルトの農産、畜産物を運んで売り、帰りに日用雑貨その他を買ってポルトで売るという街交易を手がけている。物資流通の根となる典型的な商人と言えた。
「それにしても、アリアスベイン様のご赴任で、騎士様がポルトにいらっしゃるのは七年ぶりになりますな…… 村長も喜ぶでしょう」
「七年、ですか」
「はい。ですが、御安心ください。礼拝堂は村の者が持ち回りで手入れをさせて頂いておりますので、問題なくお住まいになれるかと。それでなくとも、何かあれば私にお申し付けください。粗末な家で申し訳ありませんが部屋を用意させて頂きたく思います」
 アリアの内なる思いに気付くことなく、ロベルタは所々が怪しい敬語を何とか使いながら口を回し続けた。
 七年前。ポルトの村に最後に赴任していた聖堂騎士。出発前にラティスマーレから聞いた話の通りなら、その騎士の名前はロジェールであるはずだ。アリアはそれを確かめたかったが、一方で確かめることを躊躇する葛藤もあった。
 果たしてロジェールの後任が自分に務まるのだろうか。
 確かめれば、ロジェールの後任であるという重責はアリアの身に重く伸し掛ることになる。勿論、アリアが確かめようがそうでなかろうが事実は変わりはしないが、ロジェールの働きを知っているポルトの人間にそれを確かめることとラティスマーレから聞いたことでは意味が異なってくる。
「あの――」
「はい」
「――七年前に赴任していた騎士は、どのような方でしたか?」
 逡巡の末、アリアは婉曲にそれを聞いた。
 瞬間、ロベルタの顔が明らかにより明るいものになる。
「七年前の騎士様は、それはもう素晴らしい方でした。困ったことがあれば昼夜を問わず駆け付けて下さって、どんな些細なことでも親身になって耳を傾けて下さいました。また当然のようにお強く、家畜を荒らす狼の群れにお一人で立ち向かって、あっという間に追い払ってしまったこともありました。村の者は皆、あの方のことを覚えていると思いますよ」
「そうですか―― 私もその方の賞賛に負けぬよう、努力します」
 無難に答えながら、アリアはロベルタの言葉にロジェールの姿を思い浮かべる。
 七年前。ロジェールは聖堂騎士見習いを終えた直後から素晴らしい騎士だったのだろう。
 そのことには一分の疑問も抱かず、しかしアリアはあの瞬間のロジェールの行動にはやはり疑問を抱かずにはいられなかった。


 日が暮れる前に、アリアとロベルタ夫妻はポルトの村に到着した。
 ポルトの村は、ラティスマーレから聞いた以上に長閑な村だった。山裾に広がる森の傍にある小じんまりとした村。害獣などから村を守るための防護柵や見張り台は完備しているものの、繰り返し修繕されたような跡は見当たらない。ひとつの井戸がある広場を中心に数十の小じんまりとした木造家屋が立ち並ぶ、規模の小さな村だ。
「長閑で落ち着いた村ですね」
「寂れかかっている、とも言いますが。でもアリアスベイン様の言う通り、長閑で落ち着いた――過ごしやすい村であることは保証しますよ」
 アリアの取り敢えずの言葉に、苦笑しながらロベルタはそう答えた。
 井戸広場から見回せば、礼拝堂はすぐに見つかった。木造家屋の中でひとつだけ重厚な石造りが目立つ白亜の建物。小さな礼拝所と、そこに勤める聖堂騎士のための住まいを備えた、ごく小さなものだ。蔦の張った壁や古びて色の褪せた壁は、それなりの歴史を感じさせる。だが、老朽化している印象はない。ロベルタの言うとおり、村の者が持ち回りで手入れを欠かさずにいたからだろう。
「村長を呼んで参ります。馬も厩の方に案内致しますので、アリアスベイン様はどうぞ礼拝堂の方をご確認なさって下さい」
「ありがとうございます。宜しくお願い致します」
 荷物だけを下ろして馬をロベルタに任せ、アリアは礼拝堂の扉の前に立つ。
 ところどころが赤錆た、重厚な金属製の大きな扉。場合によっては村人達の最後の砦となるもの。ロジェールの跡を継ぎ、今日からここを預かるのだと思うと、アリアの身体を小さな身震いが襲った。恐れと興奮によるものだ。
「――」
 ひとつ息をして、アリアは、ぎぃ、と扉を押し開ける。重いが、ぎこちなさはない。
 扉の向こうにあったのは、静謐で、厳かな雰囲気を持つ、奥行きのある空間。礼拝者のための長椅子が並び、最奥には神聖教会のシンボルである十字架と槍の印章を持った巨大な盾が飾られている。
 静寂を大いに含んだ空気は外よりも僅かに冷えていて、アリアはそれに神聖さと荘厳さを覚えながら、視線をゆっくりと巡らせる。左手側、大きな柱の影にある小さな扉を見つけると、そこで視線は止まった。
 アリアはゆっくりと歩み寄って、扉の取っ手を掴む。硬い感触。鍵が掛かっていることを確認すると、懐から小さな鍵を取り出した。古惚けた赤銅色の小鍵。七日前に王都でラティスマーレ司祭から受け取ったもの。それを取っ手の上、小さな穴に差し込んでから軽く捻ると、かきっ、という小さな音と共に、あっさりと鍵は外れた。
「――っ」
 アリアは小さく息を呑む。扉を開けようとして――そこで、背後から歩み寄る足音に気付き、は、と振り向いた。
「――アリアスベイン様、ですかな?」
 振り向いた先には、歳の頃が七十を少し超えるぐらいの、禿頭に立派な白い顎鬚を蓄えた老爺がいた。その背後にはロベルタがいる。
 とすると、この方が村長か、と見て、本当に長閑な村なのだな、とアリアは思う。
「はい。聖堂騎士アリアスベインです。本日よりこちらでお世話になります。あなたは――」
「ザッツと申します。ポルトの村長を務めさせて頂いておる者です。アリアスベイン様、よくおいで下さいました」
 どちらからともなく握手を交わす。その時、アリアはザッツが老々しい外見でありながらも、その手が強くがっしりとして温かいことに気付いた。
 数秒前の印象を改めつつ、挨拶が終わる。
「何か不自由がございましたら、ロベルタ自身よりご案内がありましたかと思いますが、彼をお頼り下さい。雑貨屋を営んでおりますでな」
「はい。頼りにさせて頂きます」
「それと、宜しければ村の者を集めてアリアスベイン様の着任祝いをさせて頂きたいと思うのですが。何分、娯楽の少ない村でしてな。誰と言わず何と言わず、目出度いことがあった時には騒ぐのが恒例でして――如何でしょうか?」
「はい。私は構いません。是非とも」
「ありがとうございます。それでは準備が出来次第、お呼び致しますので。 ――この村を、どうか宜しくお願い致します」
「……勿論です。お任せ下さい」
 最後に一礼して、ザッツとロベルタは去っていく。
 二人が礼拝堂の扉を出るまで見送ってから、アリアは再び扉へと向き直った。
 扉を押し開ける。ぎぎ、と小さく音を立てて開いた内扉の向こうは、七年間の空白もあってだろう、埃の匂いに満ちていた。
 構わずその空気を吸ってから、アリアは歩みを進める。
 人間一人が取り敢えずは不自由なく過ごせる、広くも狭くもない室内には、埃のテーブルクロスを被った小さな机と、端々に蜘蛛の巣が残った空の本棚、横幅のある棚が二つ、これも蜘蛛の巣が張った鎧掛けがひとつに、空のベッドがひとつ。そして奥に、もうひとつの扉。
 それらを見回して、アリアはひとつ息を吐いた。安堵と、少しばかりの落胆が入り混じったものだ。少なくとも、一目見て分かる範囲内に前任者――ロジェールの痕跡はここにはない。それが、アリアの気をいくらか楽にし、いくらか落ち込ませた。
 ――まずは掃除。それから荷物を入れて、寝具を何枚か都合して貰おう。
 そう決めて、アリアはひとまず動き出した。


 日がすっかり暮れ、丁度掃除が終わった頃、アリアはロベルタに連れられて集会所へと向かった。
 村の中で多目的な用途に使われる集会所はそこそこに広く、その中で五十人ほどの村民が集まって、ポルトという村の規模にしては盛大な歓迎会が行われた。
 全員が料理と酒、あるいは果汁飲料を手にしつつ、アリアは村民から代わる代わる挨拶を受けた。そこにはつい先日まで見習いだったアリアの実力を、しかし疑う者はいなかった。小さな村とはいえ王都に近いこともあってか、神聖教会の威光が十分に行き届いていること、そして前任者が十分に責務を成したからこそだった。勿論、アリア自身も聖堂騎士になるための厳しい九年を踏破しただけあって、責務の達成に対する自信は十二分にあったが。
 村民の仲も良好なのだろう。宴はすぐにたけなわとなり、村長ザッツから改めて挨拶を受け、それから酔い潰れたものが何人か出たところでお開きとなった。アリアは早速その力を貸し、あまりに羽目を外した者へは軽く酔いを取り除いてやり、その上で家々に担ぎ運び込んで、感謝を受けた。
 そうして深夜に近い時間になって、アリアは夜に冷えた空気の中、礼拝堂の個室へと戻ってきた。
「ふう……」
 息を吐き、アリアはその腕に抱えて持ってきた寝具を空のベッドに置いて、腰の聖印の聖光に照らされた部屋の中を改めて見回す。
 埃や蜘蛛の巣といったものはほぼ片付き、荷物も開け終えた。こうして寝具もロベルタに都合してもらい、一通りの生活準備は整ったと言っていい。
 しかし――手付かずの場所がひとつある。
 ――なんだろう、ここ。
 そう思いながら、アリアは奥の扉の取っ手を掴んだ。鍵が掛かっているのだろう、開くことはない。しかし、その取っ手の上にある小さな鍵穴には、アリアが持っている古惚けた赤銅色の小鍵は合わなかった。
 どこかに鍵があるのだろうか、と思いつつ、アリアはまず机の棚を調べた。しかし、それらしいものは見つからない。
 はて、と首を傾げ――ロジェールならばもしかして、という思いと共に、次は鎧掛けの足の下を調べた。
「――っ、あった」
 指先に触れる、小さな金属の感触。取り出してみると、ごく普通の小さな鉄鍵がそこにあった。
 アリアはしばしそれを見つめてから、再び奥の扉に歩み寄る。鍵穴に差し込んで軽く捻ると、やはり、かきっ、という小さな音と共に、あっさりと鍵は外れた。
 ゆっくりと扉を開く。そこにあったものは――
「……棺、桶?」
 アリアの呟きが、ごく小さな空間に反響する。
 扉の向こうには、石室を思わせる狭さの部屋に、木製の棺桶がひとつだけ安置されていた。
 アリアは混乱する。このような場所に置かれる棺桶――その中身について。
 何かの聖遺体? それとも逆に邪悪なる某か? いや、そんなものがあるのなら、事前連絡があってもいいはず。少なくともラティスマーレ司祭は何も言っていなかったとアリアは確かに記憶している。もしかすると、ロジェールが? いや、しかし――
 棒立ちのまま逡巡を重ね、ややあってアリアは行動を起こした。
 狭い室内に足を踏み入れ、棺桶の蓋に手を掛ける。何のことはない。開けて確かめてみれば良い、とアリアは判断した。案外、唯の空の棺桶で、逡巡は杞憂に終わるかも知れない。そう思ってのことだ。
 そうして開いて――アリアは己の五感を疑った。
「これ、は――」
 棺桶の中には、少女、が入っていた。
 アリアより僅かに低い身長に、健康的な肉付きの四肢と、相応の凹凸を備えた身体。その身体に張られた、生気を感じない、透き通るような白い肌。その肌にあったはずの生気を吸い取って、艶やかに輝いているかのような金糸の短髪。その髪が飾るのは、一流の人形師に細かな注文をつけて作り上げたような、瞼を閉じていても分かる、端正で愛嬌のある顔立ち。
 外面だけを見れば、人形かと思ったかも知れない。
 だが、このような場所に安置されているものが、人形であるはずがない。
 そしてアリアは聖堂騎士であるが故に“それ”を感じ取った。
「――ロジェの匂いがする」
 声は、少女によく似合う、鈴が鳴るような声だった。
 だが、普通の少女にはあり得るべきでないほどの重みを伴っていた。
 同時に、少女の瞼が開かれた。血にしては煌めくほどに赤い、紅玉の瞳。それにアリアの姿を写しながら、少女は上体を起こす。
「お前が、堕ちたる騎士の跡を継ぐ者か」
 にぃ、と口元を歪めて少女が笑った。鋭い犬歯が覗く。
 聖堂騎士にとって絶対なる敵の匂い――“亡者”の匂いが、アリアの中でひとつ強まった。

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

fif

Author:fif

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる