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フィフニルの妖精達11-2「思いの残滓 ‐2ndDay‐」

「さて、実際どうしましょうか」
 部屋に場所を移し、最初に口を開いたのはピアだった。
 首輪の拘束具を嵌められ、壁を背にして腰を下ろしているニニルさんを前に、ノアを除いた五人が相談に入る。
「やはり拷問に掛けるしかないのではないかの。あまり気は進まぬが」
「やるのは構いませんが、あまり声が響いたり、血で汚れるのは。ここは王城の地下牢のような専用の場所ではないのですから」
「それは大丈夫だろ。ちゃんと結界を張れば音は防げるし、浴室でやれば血の問題もない」
 一般人が耳にするにはあまりにも凄惨な会話。
 ついに耐えかねたか、ニニルさんが抗議の声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! さっき話したのに、何故そんな仕打ちを受けなければいけないのですか!?」
「あ? もう忘れちまったのか? お前が嘘を吐いてる可能性もあるだろ」
「だから嘘ではないと! 確認してみて下さい!」
「申請の方は確かでも、本当に取材かどうかは分からないだろ」
「……っ!」
「諦めろ。こういう場合は別段理由がなくても拷問すると相場が決まってるんだよ」
「っ、これだから軍は嫌いなんです!」
 ばし、と拳を床に打ち付け、シゥに罵声を浴びせるニニルさん。
 こちらにも重要な理由がある以上、彼女がいわゆる「追っ手の一味」でないかどうかを確かめる必要があるのは分かるのだが……
 出来る事なら救ってやりたいのが本音ではある。
「なあ。ウルズワルドでは、人質に関する条約とかはないのか?」
 何とか口実を見付けてやろうと、そう口出しするも。
 俺が放った疑問に関して、ニニルさんの方から否定してきた。
「……あります。ですがそれはエルフなどに関してのみで、妖精族に対してはないんです。忌々しい事ですが」
「そうか…… 仮に、彼女の拷問が終わったら、その後はどうなる?」
 続いてそう聞くと、これにはシゥが、ああ、と呟き、
「そもそも拷問に終わりがあるかどうかが怪しいからな。まあ俺が聞いたことあるのは、さくっと始末しちまうか、その筋の商人に売り飛ばすとか、だな。こっちで売り飛ばすのは無理だから、まあ始末しちまうのが順当だろ」
「待ちなさい! それでは、どちらにしろ私は――」
 悲鳴に近い抗議の声を上げたニニルさんに、シゥは唇の端を吊り上げて残酷に言い放った。
「そうだな。お前はどっちにしろここで死ぬって事だ」
「……! っ、く!」
「ノア、押さえろ!」
 不意に部屋の出口へと駆け出したニニルさんを、シゥの発声とほぼ同時に、俺の隣に立っていたはずのノアが確保した。
 翅を出してもいないのに、残像が見えるほどの速度でニニルさんに肉薄。捕まえて床に引き倒し、腕を固める。
「くっ、くぅ……っ!」
「諦めの悪い奴だ。お望みなら今すぐ殺してやってもいいんだぜ?」
「ふざけないで下さい……!」
「こっちは大真面目なんだがな。ほらノア、これで縛っとけ」
「了解」
 シゥが手渡した、彼女らにとってはバスタオルにも等しい大きさの手拭いをノアは器用に使い、あっという間にニニルさんの両腕を彼女の背中で拘束した。
 ノアが彼女の背中から退いて、ニニルさんが暴れても、まったく解ける気配はない。
「なあ。どうしてもその拷問はしなきゃならんのか?」
「ああ。ご主人ならそれぐらい分かるだろ?」
「ご主人様のお願いで止めてくれ、って言っても?」
 そう言うと、シゥは一瞬言葉に迷い、しかし首を振って、
「……駄目だ。いくらご主人の頼みでも、これは譲歩出来ない。ご主人の安全にも関わる事だ」
「ふむ」
「何なんですか私が何をするって言うんですか! 濡れ衣もいいところですよふざけないで――」
「ああ、うるさい」
 ぎゃんぎゃんと喚き散らすニニルさんに向けて、シゥは一瞬だけ翅を顕現させ、青い妖精炎を灯した指先を振るった。
 瞬間、彼女が口を開いているにも関わらず、叫び声がぴたりと止む。
 彼女の周りの音の伝播を止めたのだろうか。便利な能力だ。
 ……と、感心している場合ではない。俺は一つ息を吐いて、最後の手段を行使する事にした。
「なら、俺が彼女を拷問――いや、尋問する。それでいいだろう?」
「ご主人が? 出来るのか?」
 シゥが難色を示し――どういう仕組みか、こちらからの声は聞こえているのだろう――ニニルさんも、僅かに目を見開いたように見えた。
「ああ。やった事はないが、出来ない事もないだろ」
「……なあ、一つ聞いていいか?」
「何だ?」
「どうして、こいつにそこまで拘る?」
 シゥは非常に不満げな表情で、俺に歩み寄ってやや悲しげにそう問うてきた。
 俺は彼女の髪を撫でながら、
「別に、彼女だから拘る訳じゃない。この場にいる誰でも、もしも彼女の立場だったら、俺は助けたい」
 そう答えると、シゥは不満げに、僅かに頬を膨らませて、
「……分かったよ。ご主人の好きなよーにやってくれ」
 と、そう答えてくれた。
「すまんな」
「ご主人が優しい甘ちゃんなのはよく分かったよ」
「そこがいいんですけどねー」
「全くじゃの」
 くすくす、とミゥとヅィが笑う。
 そんな俺達を異様な視線で見ていたニニルさんをシゥが引っ立て、半ば押し付けるようにネイへと渡した。
「ネイ、お前はご主人について、こいつが変な事しないか見張ってろ。何かあったら腕の一本はへし折っていい」
「は、はい。分かりました」
「俺達は一応席を外れておく。何かあったら呼んでくれ」
 言って、ネイ以外の五人は何事かを話しながら和室の方へと引っ込んでいった。
 洋室の側には俺とネイ、ニニルさんだけが残り、何とも微妙な空気になる。
「……ふう。ネイ、すまんが頼む」
「いえ…… あの、ありがとうございます。ニニルさんを助けて頂いて」
「気にするな。したくてやった事だ。取り敢えず、彼女の腕の拘束と、口のやつ。解いてやってくれ」
「はい」
 ニニルさんの背後に回り、彼女が暴れても全く解けなかった拘束を数秒で外したネイは、次いで翅を顕現させ、シゥがやったのと同じように彼女の沈黙を解除した。
「……ありがとうございます、と言うべきなのでしょうか。これは」
 呟くように言うニニルさん。俺が軽く笑みを浮かべて、気にするな、と言うと、
「あなたにではありません。ネイさんにです」
 と言って、ふん、とばかりに顔を背けてしまった。
「そもそも、助けて欲しいなどと一言も言った覚えはありませんよ。大きなお世話です。人間に助けられたなどと、任意でなくとも恥でしかありません」
 しかもこの言い様である。
 過去、人間との間でよっぽど嫌な事でもあったんだろうか、と邪推してしまう。
「それに、どちらにせよ無駄です。私が何を喋ろうと、最終的にあいつは私を処分したがるでしょう」
「そこも何とかお願いしてみるさ」
「はっ、大きく出ましたね。人間の癖に……」
「――ニニルさん、いい加減にしてください!」
 先程まで滲み出していた弱気が嘘のように、俺を鼻で笑うニニルさん。
 そのあまりの態度に、ついに黙って聞いていたネイが声を荒げた。
「先程から黙って聞いていれば、ご主人様を人間だという事だけで馬鹿にして! それが記者の態度ですか!?」
「……失礼ですが、私からすればあなた達の方が異常です。人間と共にいるなど、どう考えても正気とは思えません」
 それに、と彼女は言葉を区切り、ネイを見据えて言った。
「ネイさん、私の知っている限り、あなたも人間嫌いだったはずです。一体、この人間との間に何があったのですか? あなた達がここにいるのと何か関係が?」
「特別な事は何もありません。ただ私達は、ご主人様が妖精の常識で言う人間に当て嵌まらない――優しくて嘘を吐かない人間だと知っています」
「……騙されているとか、そう考えた事はないのですか?」
「ありますよ、勿論。でも、絶対にないと判断しました」
 そうはっきりと言って、ニニルさんの厳しい視線を真っ直ぐに見つめ返すネイ。
 ややあって、視線を逸らしたのはニニルさんの方だった。
「……どんな手を使ってネイさんや奴らを誑し込んだのかは知りませんが、私はそう甘くはありませんよ、人間」
 逸らした視線を真っ直ぐに俺に向けて、そんな言葉と共に敵意を剥き出しにしてくる彼女。
 まるで宣戦布告のようだと俺は笑いながら、彼女の言葉に本心を返す。
「いきなり信じろなんて無茶は言わない。少しずつで構わないから、俺を分かってくれ」
「よくもそんな台詞が言えたものです」
 俺の言葉を鼻で笑い、明後日の方向に視線を逸らす彼女。
 手厳しいなと苦笑いを返した俺に彼女はふと一瞥をくれて、それから聞いてきた。
「人間、名前は?」
「ん?」
 意外な事を聞かれ、つい生返事を返すと、彼女はやや不機嫌な様子でこちらを見据えて言い直してきた。
「名前です。人間人間と呼ばれては不愉快でしょうし、私の品性が問われますから」
「あ、ああ。悠だ。それで通ってる」
「悠ですか」
「ああ。君はニニル・ニーゼスタス・ラーザイルさん…… だっけ?」
「ニニルで結構。さん付けなど虫唾が走ります」
「分かったよ、ニニル」
 ちゃんと言われた通りにしたのに、それでも不満げにベッドに腰を下ろすニニル。
 なんだかなあ、と思いつつも、それでも彼女と名前で呼び合えるようになった事は大きな進歩に違いない。
「じゃあニニル」
「なんですか」
「君がここにいたのは、取材という事で間違いないんだな?」
「だからそうだと言っているでしょう。確認を取れば分かる事です。ちゃんと許可は取っているのですから」
「そうか……」
 これだけ強く言い張るという事は、本当なのかもしれない。
 他に聞くべき事がないかどうかを思案していると、その隙を突くようにして彼女が口を開いた。
「一つ、質問があります」
「何だ?」
「どうしてこちらに軍が、族長とヅィ様がいるのですか? 族長は妖精騎士の一員であるからまだしも、ヅィ様は王城に半軟禁状態だったと聞きます。その目的からして、皇帝が外出を許すとは思えないのですが?」
「それは……」
 代わりにそう呟いたのはネイ。
 答え難そうな彼女の様子を見て、ニニルは更に言葉を続ける。
「勿論、この状況で私に質問の権利があるとは思いませんので、答えなくても結構です」
「ふむ」
 取り敢えず頷いて、ネイの様子を見る。
 彼女は答えるかどうかを迷っているらしく、小さな唸りの声と共に苦渋の表情を浮かべていた。
「ネイはどう思う? 俺は言ってもいいと思うんだが」
「ですが……」
「俺はニニルを信じようと思う」
「会って数時間の私の何を信じるのか知りませんが」
 ぼそりと入った突っ込みを聞き流して、ネイの返答を待つ。
 しばし唸り続けた後、どこか物憂げな表情でネイは口を開いた。
「分かりました。ニニルさん、私達の事情をお話します」
「ありがとうございます」
「ですが、その前に」
 そう前置いてネイは一度言葉を区切り、彼女にしては珍しく、心底嫌そうな調子で言葉を綴った。
「教えてください。あなたの妖精石の位置を」
 妖精石。
 確か、つい先程、シゥとピアの試合の前にシゥが気まずそうに口走った言葉だ。
 妖精と付いているからには、彼女達に関係のある物なのだろうが……
「……」
 互いを見つめるネイとニニルの様子から察するに、とても大切な物なのだろう。
 どこか重苦しい雰囲気が二人の間に流れ、ややあって、ニニルが、はあ、と諦めの吐息を吐いた。
「分かりました。どうせここで言わなくてもやつらに言わされるのでしょう」
「済みません」
「……私が言うのもなんですが、ネイさん、あなたも変わりましたね」
 心底残念そうにニニルは言い、再度溜息を吐いて口早に告げる。
「左胸やや上、中央よりの位置です」
「確認していいですか?」
「……どうぞ」
 苦々しげにニニルが言う。
 ネイは、では失礼して、と言い、彼女に近付く。
 一体何をするのか、と思って注視していると、ネイはニニルの丈の短いワンピースの裾を掴み、ゆっくりと捲り上げ始めた。
「……何を見ているのですか、悠」
「あ、いや、すまん」
「謝罪は結構ですので、早くあっちを向いていなさい」
 俺の視線に気付いたニニルが、僅かに顔を赤く染めながら警告してくる。
 どこか違和感を覚えながらも慌てて視線を逸らすと、呆れと安堵の入り混じったニニルの吐息と共に、ネイの、ふむ、という頷きの呟きが耳に入った。
「ご協力ありがとうございます。確かに間違いないようですね」
「この状況で嘘をついても仕方がないでしょう。では、教えてください。何故、あなた達がここにいるのか」
「……分かりました」
 振り向いた視界に入ったのは、今まで以上のネイの真剣な表情と、それに対するニニルの興味と不安が綯交ぜになったような表情。
「私達は――」
 ややあって、ネイの長い話が始まった。


 話はおよそ十分以上に及んだだろうか。
 所々端折っていたであろうにも関わらず、それだけの時間を要した話は少なくともニニルを驚かせるのに十分なものだったようだ。
「――それで、叛乱は成功したと、言うのですか」
「恐らく…… 確認する術がないのでまだ何とも言えませんが、執拗にヅィ様を狙ってきた事から判断するに、もう継承者もほぼ残っていないのだと思います」
「そう、ですか」
 何とかそれだけを口にして、ニニルは弱々しげに瞼を閉じた。
 やはり少なからずショックを受けているのだろうか。何とも言えない重苦しい雰囲気を発しながら、ニニルは呟くように言った。
「……少し、一人にして頂けませんか。頭の中を、整理したいので」
「分かった。ネイ、行こう」
「え、しかし……」
「いいから。大丈夫だよ」
 何かの根拠がある訳ではなかったが、一人にしておいても大丈夫だろうと判断して、俺はネイを連れて洋室を出た。
 扉を抜けた途端、卓を囲んで何やら会話をしていたらしい五人の視線がこちらに集中する。
「早かったな。どうだった?」
 真っ先に口を開いたのはシゥ。
 彼女の隣に腰を降ろして、全員と視線を合わせてから俺は答えた。
「具体的な事はまだ。取り敢えず、人間を嫌ってるってのはよく分かったよ。あと君達の事についてもネイから話して貰った。すまん」
 そんな成果もへったくれもない答えに、俺は流石に非難の視線を覚悟した。
 しかし意外に、五人の視線にいずれも怒っている様子はなく。
「ったく、んなこったろうと思ったぜ」
「ほんにしょうがないのぅ」
「肯定」
 そんな言葉と共に送られた、むしろ笑いと呆れを含んだ緩やかなものだった。
 ニニルに対するシゥの態度からして、多少は罵声が来るかと思ったのだが。
 彼女らの心遣いに感謝しながら、俺は言葉を続ける。
「クーデターの事については、結構ショックを受けてるみたいだったな」
「ショック、ねえ。まああいつは社交的な方だから、多少は思うところがあるんだろう」
「それに、確かニニルさんの報道局は帝都の中央にありますから…… 留守にしている仕事場の事も気になるのでしょう」
「仕事場、か」
 確か、新聞記者だったか。
「彼女の新聞ってどんなのなんだ?」
「あった事をありのままに書く、真面目な新聞だったと記憶しておるがの。悪く言えば、あまり面白いものではない」
「ほう。全員読んだ事あるのか?」
 そう聞くと、いや、とヅィは否定し、
「わらわとピア、ミゥは読んだ事はないはずじゃ。あやつの新聞はラフィ語版、ニルスベーン語版しかないからの。読みたくとも読めぬよ」
「ラフィと、ニルスベーン?」
「妖精郷で使われている二大言語です。ラフィ語は主に妖精族の間で。ニルスベーン語はそれ以外の間で使われています」
「じゃあ、ひょっとして三人は字の読み書きが出来ないのか?」
 驚いてそう言うと、流石にピアは、いいえ、と小さく笑って首を横に振った。
「族固有の言語というものがありますから。幻燐記憶もありますし、それで事足ります」
「ああ、なるほど」
 フィフニル語とでも言うのだろうか。
 恐らく、たまに彼女達が交わす、俺には全く聞き取れない言葉がその言語なのだろう。
「ま、なんにせよ。悠の手腕に期待という所じゃの。何せわらわ達を誑し込んだんじゃ。難しくはなかろ?」
「……そういう事になるのか?」
「くふふ、冗談じゃ」
 相変わらずの人を喰ったような笑みを浮かべるヅィ。
 だが、ふと真剣な表情になって次の言葉を紡ぐ。
「じゃが、もう如何なる理由があろうと、あやつを生かして帰す訳にはいかなくなった。かと言って、家に連れて行く訳にもいかぬ」
「処分は確実、という事か?」
「この旅行の最終日、あやつの態度次第じゃの。敵になる確率が僅かでも残っていれば、始末しなければならぬ」
「同じ一族ですし、出来ればそんな事はしたくありませんが……」
 そう言ってピアはシゥに視線を向ける。
 それにシゥは言葉で答えず、今更何を、といった様子で眉を顰めた。
「やると決めたら俺はやる。そこは譲れないぞ、ご主人」
「分かってる。誑かせばいいんだろう? やってみるよ」
 しかし、と苦笑しながらふと思う。
「まるで、ニニルが敵じゃないって分かってるみたいだな」
「あん?」
「だってそうだろ? 彼女がもし追っ手だったら、問答無用で処分しないといけなくなる」
 先程までの会話は、ニニルが現在中立の立場にいて、このまま帰してしまうとこっちの事を記事にする、あるいは情報を叛乱軍の側に売るかもしれない、という危惧を懸念したものだ。
 だからまず話題にするなら、如何にして彼女が敵かどうかを判断するか、になるはず。
「あー、あれが追っ手って事はまずない。金や物では動かない奴だし、命令されるのも嫌ってるからな」
「なら、あんなに強く当たる事は無かったんじゃないか?」
「こういう時は取り敢えずああするのがいいんだ。定石ってやつだよ」
 それに俺はあいつが好きじゃない、と意地の悪い笑みを浮かべて言い放つシゥ。
 この会話をニニルが聞いたら、さぞかし罵声を浴びせかけるに違いない。
「――さて、悠よ。これからどうするのじゃ?」
「しばらく一人にしてくれ、って言われたしな。どうしたもんかね」
「あのなご主人、そんなの一々相手にしなくてもいいんだぜ?」
「好感度稼ぎの一環だと思ってくれ」
 苦笑いをしながら呆れた様子のシゥにそう答え、俺は壁の時計を見上げた。
 午前十一時前。昼食を取るにはやや早い時間だ。
 どうしたものかと悩んでいると、ふとヅィが、あ、という何かに気付いたような声を上げた。
「どうした?」
「のう悠。確かここには温泉があるんじゃったの?」
「ああ。そうだが」
「訓練で多少なりとも疲れたし、入ってみたいのぅ。どうじゃろ?」
「うーむ」
「同意」
 と、不意にノアがそれだけの短い言葉を放った。
 彼女から後押しがあった事に俺は少々驚きつつ、よし、と立ち上がる。
「じゃあ行くか。準備してくれ。俺はニニルに少し聞いてくる」
「何をじゃ?」
「ニニルも一緒に行くかどうか、だよ」
 そう答えると、露骨に嫌そうな顔をするシゥ。
 俺はその突き刺さるような視線に再び苦笑いを返して、洋室へと入る。
 瞬間、洋室の窓から外を眺めていたニニルが口を開いた。
「なんですか悠。しばらく一人にしてくださいと言ったでしょう」
「……よく俺だと分かったな?」
「当然です。妖精の気配は独特ですから。人間との違いなどすぐ分かります」
 言ってこちらを振り向くニニル。
 やや表情は硬いが、不機嫌なのは容易に分かった。
「で、なんですか?」
「いや、今から温泉に行く事になったんだが、ニニルも来ないか?」
「……貴方、よくその調子であいつらと居られますね」
「いや、全くだ。よくシゥには睨まれるよ。で、どうする?」
 問うと、やや思考の間をおいてニニルは頷いた。
「行きます。服も洗っておきたいですし」
「よし、決まりだ」


 俺を先頭に、ぞろぞろと七人を引き連れて待合室に入る。
 やはり昨日の夜と同様、人の気配はない。
「じゃあピア、皆を頼む」
「分かりました」
 今度は流石に男湯と女湯に分かれ、俺は男湯の側の脱衣所に一人で入った。
 手早く服を脱ぎ、タオルだけを持って浴場へと入る。
 昨日、ピアと一緒に浸かった檜風呂の湯を指先で確かめて、ゆっくりと身を沈めた。
「……うー」
 じんわりと、疲れが取れるかのような感覚に思わず声が出る。
 そのまま何も考えずに、ただ中空を眺めながら息を吐く。
「……ん?」
 そのまま一分以上はそうしていただろうか。
 何気なく視線を動かした俺の視界に、硝子張りの小さな扉が目に入った。
 浴場の隅、目立たない位置にあるその扉の上には「露天風呂」と書かれた小さな案内板が突き出ている。
「……露天風呂、か」
 夜に来ればそれなりに風流だろうなと思いつつ、じっとその扉を見つめる。
 ややあって、俺は身体を洗うために浴槽から身を上げた。
 特に何の感慨もなく、見慣れた自分の、お世辞にも立派とは言えない身体を洗い、髪を濡らす。
 再び浴槽へ戻り、湯に身を沈める。
「……」
 ――いや、参った。
 何とも味気ない。
 彼女達がいないだけで、こんなにも自分の行動がつまらなく感じるとは。
「……は、あ」
 やはり全員で入った方が良かったか、と思わず危険な発想が頭を過ぎる。
 身体を重ねたピアやミゥ、ヅィと入るならともかく、ネイやニニルと一緒に入る訳にはいかないだろう。
 至極退屈になって、湯の中でぐるりと姿勢を変えた俺の視界に、また露天風呂の扉が目に入った。
「……下見だけでも、しておくかな」
 誰に言うでもなくそう呟いて、浴槽から身を起こす。
 湯気立ち込める浴場を横切って、小さな扉の前に立つ。
 硝子の向こうには竹で作られた仕切りと、日除けらしき木造の屋根、その向こうに広がる竹林が見えた。
 取っ手に手を掛けて、一気に引き開ける。
 僅かに風が吹き込んできたが、寒さを感じる事はなく、むしろ心地よい冷たさを感じた。
「お」
 扉を出てすぐの仕切りの向こうを覗き込むと、そこには見事な石造りの露天風呂があった。
 極力自然の素材をそのまま使っているのか、やや角ばった石を上手く組み合わせて作られた浴槽の中に湯気沸き立つ湯が貯められている。
 湯の温度を確かめ、身を沈める。
 瞬間、ゆっくりとした風が頬を撫で、心地よい爽快感を与えてくれた。
 同じ湯のはずなのに、場所が違うだけでこうも雰囲気が違うというのは、なかなか不思議なものだ。
「ふう…… ん?」
 檜風呂の時と同じように、何をするでもなく湯に身を沈める事およそ一分。
 俺の耳に、聞き覚えのある声が風に乗って届いてきた。
「――ほら、こっちですよー、ピア」
「走ると危ないですよ、ミゥ。転んだらどうするのですか」
「へーきですってばー」
 ピアとミゥの会話か、と分かると同時、ばしゃばしゃと何かを投げ込むような水音が連続して四回。
 音の方向は、露天風呂の右手。竹林の近くにある竹で作られた壁の向こう側だ。
「ほらほら、ヅィも早くー」
「そう急かすでない。それに湯は逃げぬぞ」
 そんなやり取りの後、続いて二回。最後に一回、なんだか遠慮がちな水音が響いて、しばし静かになった。
「……んー、いい温泉ですねー」
「そうだな」
「これでご主人様がいれば、もっと良かったんですけどねー」
 何やら不満げなミゥの声。
 俺に関しての話題である事に気付き、あまり褒められた事ではないと分かっていながら、ついつい耳を立ててしまう。
「変に真面目な所があるからのう、悠は。おおかた、ネイやニニルに遠慮したのじゃろう」
「う、す、済みません」
「謝る必要などありはせん。その気になれば悠を誘えばよいしの。なあピア?」
「……何故私に振るのですか?」
「なあに。無害を装う卑怯者なら、知っておるじゃろ?」
「誰がいつ無害を装いましたか。第一、あれはご主人様が行こうと言い出したのであって――」
「やはりか」
 くっくっく、とヅィの意地の悪い笑い。
「……謀りましたね?」
「墓穴を掘ったのはお主じゃろうに、ピア。抜け駆けとは、リーダーの風上にも置けんのぅ」
「ご主人様が行こうと言った時に寝ていた方が悪いのです」
「起こすという選択肢は当然あったじゃろ。当然、態と選ばなかったんじゃろうがな。くふ、気にする事はない。わらわでもそうする」
 彼女の人を喰ったような笑みが脳裏を過ぎる。
 聞き耳を立てながら、俺は必死に笑いを堪えた。
「……それにしても。よく人間と温泉などに行けますね」
「ニニル。ご主人様と、妖精郷に妖精を捕まえに来るような人間を一緒にしてはいけませんよ」
「それは分かりますが。なんというか、その、あれです…… ああもう、なんだか私が馬鹿みたいです」
「おかしな奴だな」
「あなたに言われたくありません。第一、あなたは何故ここにいるのですか? シゥ・ブルード・ヴェイルシアス」
「あん?」
「私の記憶が正しければ、あなたは改革思想の妖精だったはずです。ここにいる事は不自然だと思うのですが?」
「お前、それでも記者か? おめでたい頭してるな」
「あなたに言われたくないと言ってるでしょう」
「お前、ちょっとは身の程を知れよ」
 一歩たりとも引かないニニルに苦笑しながら、俺は発声の為の息を吸った。
 シゥの声色からして、これ以上白熱させると彼女の身が危ない。
「――ん? 皆いるのか?」
「あれ、ご主人様? いつからそこに?」
 ミゥのそんな声と同時に、ぴんと張り詰めていた空気が解けるような感覚があった。
 それに安堵の息を吐いて、俺は何事もなかったかのように声を上げる。
「露天風呂があったから、どんなのかと思って見に来たんだが。何かまずい事でも話してたか?」
「いえ、単にピアとご主人様のあつーい体験談を話して――」
「ミゥ! ご主人様、そんな事話してませんからね!?」
「分かってる分かってる」
 ピアの怒声に笑って返す。
 すると向こうでくすくすと複数人の笑い声がして、ばしゃりと何かを打ち付けるような水音が響いた。
 リーダーという身分もなかなか大変だと、他人事のように思う。
「ご主人様ー」
「なんだー?」
「そっち、ご主人様以外に誰かいらっしゃいますー?」
 ミゥらしき声にそう言われて、分かっている事だが確認の為に前後左右を見る。
 ……うん。人の気配は全くない。
「いないぞ」
「じゃあ、そっちに行ってもいいですかー?」
 その質問が発された途端、向こうの空気がビシリと固まるのが分かった。
 次いで、微妙な間を置いて何やら小声で会話が交わされる。
 その中身を聞き取る事は出来なかったが、恐らくはピアやヅィ辺りが牽制し合っているのだろう。
「あー…… いいぞー」
「それじゃあ、お邪魔しますねー」
 起きうる事態を予測しながらそう了承の返事をすると、んしょ、というミゥの声と共に何かを引き上げるような水音が一つ。二つ。三つ。
 それからややあって、四つ、五つ、六つ、七つ。
 しばしの後、俺が入ってきた露天風呂の入口から、見目麗しい七人の妖精達が一糸纏わぬ姿で現れたのだった。

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7人…

レインボー戦隊。
…いや、別に、その…

…古いな(^^;;

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