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フィフニルの妖精達11-1「思いの残滓 ‐2ndDay‐」

 ――まあ結論から言うと、バレない確率なんて無いに等しかった訳で。
 俺はひたすらに気まずい思いを抱えながら朝食を終えて、部屋に戻ろうとしていた。
 ふと一息吐いて、隣を付いて来る白い妖精――ピアに声を掛ける。
「……大丈夫か?」
「いえ、大丈夫です」
 そう答えたピアは笑顔で、他人が見ればなんら問題があるようには見えないだろう。
 いつもの外套の、下腹部分が僅かに膨らんでいるのを除けば。
 朝の顛末は思い出すだけでも恥ずかしい。
 彼女の小さな身じろぎに俺が夢精し、精を注がれる感触に彼女が飛び起きて、それで他の五人が起きてしまったなどと。
 結合部をばっちり五人に見られて、真っ赤になって何やら喚いていた彼女を思い出す。
「それ、出せないのか?」
「え、あ、その。強く押せば出せない事はないのですが……」
 彼女の膨らんだ下腹に溜まっているであろう俺の精液についてそう聞くと、彼女はまた赤くなりつつも小さな声で答えた。
「ミゥによると、私達のここには特殊な器官があって、何らかの理由で男性の精を蓄積、吸収しているらしく…… 下手な事はしない方がいい、との事なんです」
「ほぅ」
「自分でも驚きです。もう何百年も生きていますが、自分の身体にそんな仕組みが備わっていたなんて知りませんでしたから」
 その下腹を撫でながら彼女は言う。
 そこにあるのはてっきり子宮だとばかり思っていたのだが、妖精は違うのだろうか。
 そんな事を考えながら廊下を歩いていると、昨日俺達を部屋まで案内してくれたスーツの老人と出会った。
「おはようございます。よくお眠りになられましたか」
「はい、お陰様で」
「左様でございますか。ありがとうございます」
 社交辞令のような挨拶を交わすと、彼はそうそう、と言って、
「シゥ様から伝言がございます」
「シゥから?」
「はい」
 反応したのはピア。
 彼は彼女の方に向き直ると、一拍置いて、
「広く使える場所は無いか、と聞かれましたので、浴場傍の庭を御使用になって下さい、とお答えしたのですが」
「はい」
「その際に伝言を預かりまして。『ちょっと訓練してるから、後でご主人と一緒に来い』との事です」
「訓練、って……」
「伝言、確かにお伝え致しました。それではごゆっくり」
 一礼して去っていく老人。
 俺は彼に一礼を返して見送った後、眉を顰めている彼女に問うた。
「訓練って?」
「恐らく、あの子流の戦闘訓練の事でしょう…… まったく、何を考えているのでしょうか。急ぎましょう、ご主人様」
「あ、ああ」
 ぱたぱたと早足で駆けていく彼女を追いながら、そう言えば彼女達は軍人だったか、と思い返す。
 どんな訓練をしているのだろうか。
 ピアには失礼だったが、彼女達の訓練風景というのが楽しみな俺であった。


「――ほら、もっと速く! 遅いぞ!」
「はいッ!」
 庭に近付いた途端に耳に響いてくる、そんな威勢のいい声。
 シゥとネイのものか、と思った瞬間、次いで響いた激しい金属音が鼓膜を叩いた。
「あの子は、もう……!」
 早足から、たっと勢い良く駆け出すピア。
 彼女を追って廊下の角を曲がると、広い縁側と共に石畳と砂利敷きの庭が視界に広がった。
 五十メートル四方はあるだろうか。縁側となっている二面の反対側は竹林になっており、風に揺られて擦れ合う笹の葉の音が耳に涼しい。
「もっと手首を使え! 腰もだ! 身体の動きに翅を合わせろ!」
「はいッ!」
 その庭の中央で。
 炎と氷の妖精――シゥとネイがそれぞれの得物を手に、打ち合いを繰り広げていた。
「ッ!」
 灼熱の赤い炎と共に、ネイがシゥに向けてその手の細長い剣を撃ち込む。
 一直線の牙突。鋭く伸びる一撃は、しかしシゥに僅かに届かないかに見えた。
 瞬間、ネイの炎の翅が強い緋色の輝きを帯び――
「はあッ!」
 突き抜けるような爆発音と共に、剣を包んでいた炎が伸びた。
 ネイの発声と共に、寄り代となっていた剣の先端で更なる刃を形成した炎が、一直線にシゥを貫こうとする。
 シゥは顔色を変えず、僅かに地面を蹴って後退しながら身を翻した。
 バランスを崩し、彼女の身体が宙に流れる。
 その僅か数センチ傍、一瞬前まで彼女の身体があった場所を炎の刃は貫いた。
 しばし宙を流れたシゥは、翅を使って何事もなかったかのように体勢を立て直す。
 同時、そこへ襲い来るネイの一撃を自分の剣であっさりと弾いた。
 攻撃の失敗にネイが距離を取り、張り詰めた空気が緩む。
「追撃が遅いな、やっぱ。戦いの流れをもっと自分の中で組み上げないと駄目だ」
「はい……」
 聞こえてくるそんな会話に、隣にいるピアが苛立った様子で大きく息を吸った。
 この後に続く行動を予測して、俺は慌てて耳を塞ぐ。
「あなた達ッ!」
 きん、と響く怒声。
 その声量は人間の絶叫に匹敵するほどのものだ。
 しかし五人は慣れたもので、特に何でもないかのようにこちらの姿を認めた。
「お、やっと来たか」
「やっと来たか、じゃありません! 何をやっているのですか!?」
「見ての通りだが」
 歩み寄ってきたシゥとのそんな会話に額を押さえるピア。
 更に小言が続くかと思ったが、予想に反して彼女は、はぁ、と溜息に似た吐息をして、
「……まあ、いいでしょう。いざという時に身体が鈍っていては困りますし」
 と、彼女にしては珍しく、自分から譲歩した。
「そうそう。これもご主人を護る為だ。なあ」
「ああ。頼もしいな」
 呼びかけに本心からそう返して、シゥを見た。
 視線が合って、何故かしばし見つめ合う。
 するとシゥは不意に顔を僅かに赤くして気まずそうに視線を逸らした。
「? どうした?」
「な、なんでもねぇよ。取り敢えず適当な所に座って見ててくれ」
「ああ。しかし……」
 俺はシゥの持っている、彼女らの身長に見合った――刃渡り40cmほどの剣に目を向けた。
 磨き込まれている刃はまるで鏡のようで、金属らしい鈍い光を放っている。
「真剣じゃないのか、これは。怪我とかは大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫だ。妖精炎での治癒術を完璧にしてれば、大抵の怪我は一瞬で治る」
 見てろよ、と言って、彼女は懐から俺の小指ほどの小さなナイフを取り出した。
 それを自分の左掌に当て、有無を言わさずにすっと引く。
 ナイフの切っ先を追いかけるように薄らと赤い血が滲み、次いで何処からともなく湧き出した淡い青の光が傷口を包んで――
「――ほら、もう何ともねぇだろ?」
「確かに……」
 俺に向けて突き出された彼女の手を取って、ナイフが通った辺りを凝視する。
 そこには傷口があった様子など欠片もなかった。
「妖精炎の魔法ってのは自分にはとても効きやすいんだ。訓練次第では、腕の一本が切られてもその瞬間なら即座に治せるぜ。俺みたいにな」
「凄いな。無敵じゃないか」
「いや、そーいう訳でもない」
 彼女は僅かに眉を顰めて、俺の言葉を否定する。
「ちゃんと、妖精炎を一時的に使えなくする妖精炎魔法がある。それを喰らってる間に斬られたら流石にヤバい。一度にあんまり多くは治せないから、全身に衝撃を受けたりするのも駄目だ」
「ふむ」
「後は妖精石に直接一撃を貰う、ってのがあるが……」
 言って、シゥはまた気まずそうに視線を逸らした。
「どうした?」
「……いや、何でもない。気にしなくていい。さ、座った座った」
 シゥに押しやられるように、縁側へと腰を降ろす。
 縁側ではヅィとミゥ、ノアの三人が並んで腰掛けていた。
 俺が軽く会釈をすると、ヅィは僅かに顔を赤くしてぎこちなく会釈を返し、ミゥは小さく微笑み、ノアは目を閉じて一礼してきた。
「ん、どうした? ヅィ」
「い、いや。何でもないがの?」
 そ知らぬ振りをしてヅィに聞いてみたが、やはり反応はシゥの時と同じ。
 サファイアの瞳を覗き込むと、彼女はより顔を赤くして視線を逸らしてしまう。
 やはり、朝の出来事が原因なのだろうか。
 こちらはなるべく意識しないように振舞っているのだが、彼女達がそういう反応だと非常にやりにくさを感じる。
 シゥとネイに視線を戻すと、二人は何やら演技指導のように動きの練習をしていた。
 先程のシゥの台詞や、以前聞いた話から察するに、彼女はかなり強いのだろう。
「シゥって強いのか?」
「そーですねー、強いと思いますよ。少なくともボクはシゥが負けた所を見た事がありませんし」
「……そうじゃの。剣の腕は確かじゃし、妖精炎を使いこなすでの。大体はどちらかに特化するものだからのぅ。武器と妖精炎の両方をあそこまで上手く扱えるのはそうそう居はせぬ」
「なるほど。ヅィやミゥは?」
「わらわもミゥも妖精炎魔法に特化しておる。殴り合いはあまり好きではない」
 出来ぬことはないがな、と付け加えて、俺の発した疑問に答えたヅィは視線を正面に戻した。
 俺も釣られて視線を庭に戻すと、そこでは何やらシゥとピアが向かい合って、互いに距離を取っていた。
 両者の視線は鋭い。
 今からやり合うのだろうか、と思った瞬間、ピアが動いた。
 地面を蹴って後ろに跳びながら、小さな左手を前に突き出す。
 刹那、彼女の背中から眩い光が溢れ出した。
 溢れた光は意思を持っているかのような秩序だった動きで彼女の背中に集約し、四枚の翅を形成する。
 それが確かな形を持つと同時、突き出した左手からも光が溢れた。
 左手から溢れた光は上下に伸びて、弧を描くようにその形を保ちながら、その姿を確かにしていく。
 現れたのは――
「っ、は!」
 ピアの小さな発声。
 同時、彼女の右手が左手に重ねられ、瞬時に顎へと引かれた。
 握られた指が開放される。
「――っ、と!」
 次いで動いたのはシゥ。
 力なく提げていただけの剣を瞬時に眼前で構え――瞬間、剣に火花が散った。
「っ、と、は!」
 短い発声と共に、シゥが己の眼前で剣を振り回す。
 ほぼ同時にピアの右手が閃くように前後して、その度にシゥの剣に火花が散る。
 そんな一連の光景を目にして、俺はようやくピアの持つ光り輝く弧が何なのかを理解した。
 ――弓だ。眩く白く光り輝く、光の弓。
 それを理解して、シゥの凄さをも理解する。
 ピアの弓から放たれているのは、短時間に高出力で照射される光――パルスレーザーとでも言うべき光の矢なのだろう。
 光である故に視認した瞬間には命中するその矢を、シゥは恐らくピアの視線と弓の方向だけで彼女の照準を予測、防御しているのだ。
 理屈で分かっていても、容易に出来る事ではない。
「――っ、く、お、はッ!」
 しかし、ピアのあまりの連射速度に、ついにシゥが防御を捨てて回避行動に入った。
 刃が防御の為に数度閃いたのを最後に、シゥは身体を右へと投げ出す。
 それを追うようにピアの弓が少しだけ角度を修正し、再び右手が閃いた。およそ三度。
 瞬間、シゥの背後やや離れたところの石畳でばちりと火花が散る。
「っ、く、相変わらず素早いですね……!」
 そう悪態を吐く間にも、ピアの右手が左手と頬の間を往復する。
 機関銃の弾丸のように襲い来る光の矢を、しかしシゥは残像が見えるほどの圧倒的な運動速度を以って紙一重で回避していく。
 俺は絶句しながら、攻撃と回避の応酬をただ見守り続けた。
 このまま放っておいたら永遠に続くのではないだろうか――そう思った、その瞬間。
「――そろそろじゃの」
 そうヅィが呟いた直後。
 それまで回避行動を取っていたシゥが稲妻のような速度でピアに肉薄し、ピアの弓がその形を失って光の粒子へと溶けた。
 どちらが先だったのかは分からない。
 確かなのは、シゥはピアの「残弾数」を完全に見切っていたという事だけだ。
「――らあッ!」
「っ!」
 シゥの剣が逆袈裟に振り上げられ、それをピアが身を反らして紙一重で回避した。
 ほぼ同時にピアが右手を突き出し、ほぼ同時、それを避けるようにシゥが首を傾ける。瞬間、ピアの掌から放たれた光がシゥの頬を掠め、石畳の上で爆ぜた。
 一度、三度、六度、九度。凄まじい速度で無尽に振るわれる剣先を、全て紙一重で回避していくピア。
 先程とは全く真逆の、至近距離での攻撃と回避の応酬。
 ただ一つ違うのは、遠目から見ても分かるほどに、ピアが焦りの表情を浮かべているという事だった。
「っ、の……!」
 悪態を吐いて、ピアがシゥの横薙ぎを回避すると同時に、足元の石畳へとその小さな左手を押し付けた。
 瞬間、その設置点から生まれた光が爆ぜる。
「ぬ、おっ?」
 あまりの光量に視界を奪われる俺。
 ややあって瞼を開き目にした物は、先程まで持っていた弓同様、光が形を成したかのような眩しく輝く剣を新たに手にしたピア。
「――!」
 僅かな硬直の後、光の剣を真正面のシゥに対して振り抜く彼女。
 シゥが身体を後ろに流してそれを避け――避け切れず、光の剣の一閃に巻き込まれた剣の半分ほどが、赤熱して溶けた。
「お、おいおい……! 大丈夫なのか?」
「んー、大丈夫ですよ、多分」
 ピアの剣のあまりの威力に慌てる俺に、さほどでもなさそうに答えるミゥ。
 視線を二人に向けたまま、ヅィが補足で説明を入れてくる。
「あれはピアの妖精炎による剣じゃからの。そこらの物ならともかく、妖精炎の防御を絶やさぬシゥに当たっても大した威力にはならぬ」
「そ、そうなのか?」
「そうじゃ。ピアの能力の程度からしても、シゥに対する実質的な有効度は鉄製の剣より低いじゃろう。むしろ――」
「むしろ?」
「拙いのは、逆じゃ」
 視線を戻すと、損壊した剣を放棄してピアから距離を取ったシゥが、何やら左腰の位置で二つの握り拳をくっ付けて身構えていた。
 それを妨害するようにピアが右手を突き出し――そこから光が放たれるより早く、シゥの眼前に氷塊が出現して、飛来した光を迎撃する。
 その間に、シゥの背中にある氷の翅が一段と輝いて――
「――せいッ!」
 発声と共に、左拳にくっ付けていた右拳を右へと振り抜き――同時、彼女の身長ほどもある見事な氷の剣が、振り抜いた右手に半瞬で生成された。
 そしてそこから放たれる、無数の氷の弾丸。
「っ!」
 回避行動に移行すると同時、避け切れないであろう氷の弾丸を迎撃にかかるピア。
 光をばら撒きながら右へ左へと小さく、あるいは大きく動き、身体を捻る動作は、まるで洗練されたダンスのよう。
 かろうじて全ての弾丸を避け、体勢を戻し――
「!?」
 ――氷の弾丸に追従するように肉薄していたシゥが、その手の氷の剣を一直線に走らせた。
 どう見ても避けられる体勢ではない。
 俺は思わず目を瞑り――
「そこまでじゃ」
 穏やかに響くヅィの声。
 恐る恐る目を開けば、シゥの氷の剣による一撃は、ピアの周囲から生えた樹木の枝のようなものによって完全に受け止められていた。
 隣を見れば、いつの間にか虹色の翅と金色の錫杖を顕現させたヅィ。
 彼女が無理やり止めたのだと、すぐに理解出来た。
「――ちっ。まあ、俺の勝ちだな」
 翅と剣を消して地面に降り立ち、ふん、と得意げな笑みを浮かべるシゥ。
 それに対し、ピアは地面に尻餅を付いたまま、しばしシゥを睨んで、
「シゥ。あなた少し本気でやりましたね?」
「何の事だか。それに勝ちは勝ちだぜ、隊長殿」
「くっ……」
 外套の裾を払いながら立ち上がって、納得いかない表情でこちらに戻ってくるピア。
 縁側の上から手を差し伸べてやると、彼女は若干躊躇してから掴まってきた。
 引き上げ、勢いのままに胸で抱き止める。
「お疲れ様」
「申し訳ありません、ご主人様。無様な所をお見せしてしまって」
「いや、そんな事なかったぞ。とても格好良かった」
 言いながら、激しい動きで僅かに乱れた白髪を撫で梳いてやる。
 まるで液体のようにさらりと手を流れる、艶のいい髪。
 少し整えてやるだけで、すぐに元の佇まいを取り戻した。
「ん…… 本当ですか?」
「本当だよ」
「ありがとう、ございます」
 目を細め、満足げな表情で俺にされるがままになる彼女。
 ピアといいミゥといい、頭を撫で髪を触られるのは嫌いではないらしい。
「あー。ピアだけいいですねー。今といい朝といい」
「っ、いいでしょう、別に」
 笑いながら抗議の声を上げたミゥに、ピアは少しばかり顔を赤くしながら反撃する。
 じゃあボクもー、と言って小走りに近付き、横合いから抱き付いてくるミゥ。
 それを受け止めてやると、彼女はえへへ、と満足げに笑いながら俺の首元に顔を埋め、
「――動かないで、そのままにしていてください、ご主人様」
 そう、耳打ちしてきた。
「――何?」
「……誰かに、見られてます。多分、ボク達と同じ、妖精」
 気付けば、シゥもヅィもネイも、剣呑な表情で辺りを窺っていた。
「こらミゥ。次はお前の番だぞ。早くこっちへ来い」
「んー、ちょっと待って下さいよー」
「全く…… 仕方ない。ノア、こっち来い」
 警戒の色を薄めずに、しかし声だけはいつもの調子でシゥとミゥが会話を交わす。
 指示に応じてノアがシゥの元に近寄り、シゥがノアの顎を掴んで半ば強引に口付けた。やや遅れて、幻燐記憶かと理解する。
「――いいか、合図で始めるからな」
「了解」
 二人は互いに距離を取って、背中の翅と共にその手に得物を顕現させた。
 シゥは右手に、彼女自身の身の丈ほどもある氷の大剣を。
 ノアは両の手それぞれに、光沢もなく輪郭もはっきりしない闇色の短剣を。
 互いを見据えながら身構え、ゆっくりと視線だけを奥の竹林へと移し――
「三、二、一…… 行くぞッ!」
 シゥのカウントダウン完了と同時。
 ノアの姿が突如として濃厚な闇色の霧に包まれた。
 シゥはノアが包まれた闇の霧にすかさず袈裟に斬り掛かり、手首を返して斬り上げる。
 同時、ピアの時と同じように氷の弾丸が無数に放たれた。
 ――竹林の方向へ。


「……っ!?」
 その橙色の妖精がおぞましい悪寒に襲われたのは、遥か向こう、竹林の隙間に豆粒ほどに見える黒い妖精が黒い霧に包まれて消えた、まさにその瞬間だった。
 単眼の望遠鏡を覗き込むのを止め、小さく潜めていた翅を大きく展開する。
 まさかあいつらと言えど、この距離で気付くはずがない。
 そうは思ったが、しかし橙色の妖精は自分の第六感にはそれなりに自負があったし、実際に助かった事も一度や二度ではなかった。
 しかし、こんな特ダネを見逃しておけるだろうかと、橙色の妖精は悩む。
 僅かな逡巡の後、再び望遠鏡を覗き込む。拡大された視界に入ったのは、忌々しい青い妖精が剣を振り上げて――
「!?」
 瞬間、橙色の妖精は見た。
 無数の氷の弾丸が、こちらに向かって放たれたのを。
「っ!」
 一瞬、何かの間違いかと橙色の妖精は思った。
 しかし、やはり自分の直感は当たっていたのだと思い直す。
 慌てて回避行動に入る。翅を動かして大きく上に避けた直後、橙色の妖精の身体が一瞬前まであった位置を凄まじい量の氷の弾丸が貫いた。
 一見しただけで分かる、妖精炎の凄まじい力量差。
 恐怖で全身の力が抜けそうになるのをぐっと耐え、橙色の妖精は身を翻し――
「――!?」
 自分の背後から躍り掛かる、両の手それぞれに短剣を持った黒い妖精を視界に捉えた。
 咄嗟の判断で自分の得物を顕現させる橙色の妖精。
 緋色に輝く槍がその輪郭を定かにせぬ内から、強引に自分と黒い妖精の間へと滑り込ませる。
 金属音が鼓膜に響き、防御の成功を知らせ――
「うあっ!?」
 すぐさま続いた第二撃が、橙色の妖精の右腕を切り裂いた。
 たまらず後退する橙色の妖精に、寄り添う影のように黒い妖精が肉薄する。
 橙色の妖精炎が斬られた右腕をじりじりと癒し、機能を回復させていく。
 しかしそれを許さぬかのように、黒い妖精が両の手の短剣による攻撃を繰り出してきた。
「っ、く、わ、っあ……!」
 金属音を打ち鳴らして防御するが、黒い妖精の圧倒的な攻撃の速度についていけず、また一撃が身体を切り裂いた。
 今度は脇腹。服を伝って滴る血に、橙色の妖精は恐怖を味わいながら、しかし表情を引き締める。
「っ、の!」
 防御が駄目ならばと、駄目で元々で橙色の妖精はその手の槍を黒い妖精に繰り出した。
 一直線にそれなりの速度で突き出された槍は、再び攻撃に掛かろうとしていた黒い妖精の短剣と入れ替わるように交錯し――
「……っ!?」
 槍を持つ手に伝わる、軽い手応え。
 突き出した緋色の槍は、黒い妖精の胸の中央に吸い込まれるように突き刺さっていた。
 思わぬ攻撃の成功と、手に伝わる殺傷の感覚に、橙色の妖精の動きが止まる。
 ――そして、それを待っていたかのように、黒い妖精は右手の短剣を消去し、己に突き刺さったままの槍を強く握り締めた。
「な……!?」
 引き抜こうと慌てて腕を引くが、まるで岩盤か何かに突き刺さったかのようにびくりともしない。
 ふと見れば、眼前には黒い妖精の、整ってはいるが無機質な表情を浮かべた顔があった。
 まるで傷など意にも介していないかのような、完全な無表情。
 橙色の妖精はそれに激しい恐怖を覚え、再度槍を引き抜こうと力を込め――
「え……?」
 瞬間、橙色の妖精は自分の身に何が起きたのか理解できなかった。
 僅かに聞こえたのは、聞き覚えのある忌々しい声。
 気付けば、自分の翅は凍り付いて塵となり、手は槍ごと凍り付いて動かす事が出来ない。
 そう、これはあの時と同じだ。
 恐怖が蘇り、それだけで橙色の妖精の意識が沈む。
 私の何がいけなかったのだろうかと、橙色の妖精は薄れ行く意識の中で、そう思った。


 氷の剣を携えたシゥが凄まじい速度で竹林の中へ飛び去った後、俺はしばし呆然と竹林の闇の中を凝視した。
 気付けば、闇の霧に包まれたノアの姿も見えない。
 二人だけで監視者とやらを追いに行ったのだろうか。
「二人だけで大丈夫なのか?」
「ノアの実力の程は良く知らぬが…… まあシゥがいる以上、心配要らぬじゃろう」
 残った四人と俺で、シゥの消えていった竹林を見つめる。
 笹の葉の擦れ合う音と共に、刃を打ち付けあうような金属音が数度響いた。
 そして、唐突に静かになる。
「終わった、か?」
「そのようじゃの。ネイ、すまんがアレを持ってきてくれんか。わらわの荷物の中に入っておる故」
「了解しました」
 アレ? と俺が疑問符を浮かべている間に、ネイは縁側から廊下へと駆けていく。
 ややあって、竹林の隙間からシゥとノアが姿を現した。
 ぱっと見るに二人とも大した怪我はしていなさそうで、安心は出来たのだが……
 気になったのは、ノアが拘束している橙色の髪の妖精。
 力なく俯いているので顔や表情は分からないが、その小さな身体に纏っている丈の短い白のワンピースと、その上に羽織った黒い外套にべたりと染み付いた赤い液体が、彼女が無事ではない事を示している。
「ご苦労でしたね、シゥ、ノア」
「ご苦労ってほどの相手じゃねぇよ。あいつかと期待したんだが、ただの薄汚い鼠だった」
 縁側まで戻ってきたシゥとノアに労いの声を掛けるピア。
 俺は橙色の髪の妖精を一瞥して、何やら不機嫌な様子のシゥに問うた。
「鼠?」
「こいつの事だよ」
 ほら、とシゥが顎で示すと、ノアは無造作に縁側の上へと拘束していた妖精を突き放した。
 小さな身体が力なく崩れ落ち、転がった拍子に板間へと鮮やかな色を血が散る。
 どうやら意識は既にないらしい。それにしても……
「怪我、してるのか?」
「当たり前だろ。抵抗したし」
「……せめて治してやってくれないか。出来るだろ?」
「はあ? 何でこんな奴に……」
 非常に嫌そうな顔をするシゥ。
 ピアやミゥに視線を送ると、彼女達も少々眉を顰め、
「ご主人様、今治すのは少々賛成しかねます」
「そーですねー、この人、前逃げた人ですよねー。ボクもちょっと賛成出来ないかもです」
 と、二人して難色を示した。
 そんなやり取りの間にも、徐々に板間へ血溜まりが広がっていく。
「頼む。治してやってくれ」
「む…… 死にはしませんよ、これぐらいでは。せめて拘束具を取り付けて、話を聞き出してからでも……」
「――頼む。それにこのままだと、血で床を汚してしまう」
「……」
 俺の懇願に、困った様子で顔を見合わせる三人。
 ややあって、ピアが溜息に似た息を吐いた。
「ご主人様の頼みなら仕方ありません。ヅィ、お願いします」
「任せるがよい」
 見れば、既に翅を顕現させたヅィが、ゆっくりと橙色の妖精に触れた。
 ヅィの翅が虹色に輝くと同時、その妖精の身体も淡い虹色の光に包まれる。
「わらわからも言っておくがの、悠。この後、こやつの態度次第では多少強引な手段を取らねばならんやも知れぬ。故にこの行為は限りなく無意味じゃぞ」
「それでもいい。ありがとう」
 ところで、と俺は話題を切り替え、
「全員、この子が誰なのか知ってるみたいだが。何て言う名前なんだ?」
 そう問うと、シゥが思考の唸りを上げて、
「……確か、名前はニニル。ニニル・ニーゼスタス・ラーザイルって名前だ。俺達と同じフィフニル族」
 僅かに言い淀みながら、そう答えた。
「ほう。ニニルさんか。鼠って言ってたが…… 何をしてる人なんだ? 探偵か何かか?」
「いや。ラーザイル報道局っていう…… こっちで言う新聞屋をたった一人で経営してる変わった奴だ」
「たった一人で?」
「ああ」
 シゥは忌々しそうな目でニニルさんを睨み付けて、
「何度か、奴の書いた記事が元で部隊が危険に曝された事があったんだよ。それで前にとっ捕まえたんだが、逃げ出しやがったんだ。それ以来だな」
「なるほど」
「他人への迷惑を顧みない奴で、記事になりそうな事なら何でも書くからな、こいつは。あと口が減らねぇ。一回とことんまで思い知らせた方が――」
「……相変わらず煩いですね、軍の狗が」
 落ち着いた、しかし年若い少女のような声。
 気付けば、床に横たわっていたニニルさんが、薄らと瞼を開けてシゥを睨み返していた。
「……目が覚めやがったか。どうだ? 気分は」
「最悪です」
 今までに聞いた事のない、温度の低い声で言うシゥと、この状況下において強気に言い返すニニルさん。
 なるほど、確かに口が減らなさそう――
「ああ、そうかい。そりゃ良かった」
 そうそっけなく言うと同時。
 シゥがニニルさんの脇腹を蹴飛ばした。
「ぐあっ……!」
「ちっとは弁えろよ、お前は。別にいいんだぜ? ここで今すぐ殺してやっても」
 苦しげに身を捩るニニルさんに、容赦ない蹴りを加えるシゥ。
 あまりに暴力的な振る舞いだが、恐らくこれが彼女の「敵」に対する軍人としての態度なのだろう。
「……おいおい、乱暴は良くないぞ」
「ご主人は甘いんだって。別に乱暴じゃねえよ。普通の対応だ」
「そこを何とか」
「……ちっ」
 やれやれ、といった感じで舌打ちをすると、シゥはニニルさんを蹴飛ばすのを止めた。
 なんだかんだで頼みを聞いてくれる所に感謝しながら、俺はニニルさんに手を差し伸べる。
「立てるか?」
「……恩をかけているつもりですか? 人間の分際で」
「てめぇ……」
 再び前に出ようとしたシゥを片手で制し、話を続ける。
「まあそんなところだ。立てないなら手を貸してやる。立てるなら自力で立つといい」
「人間の手など借りません。自分で立ちます」
 強気に言って、ニニルさんは自分で立ち上がろうと試み始めた。
 しかし、身体のあちこちを痛めているのか、かなり無理をしているのがすぐに分かる。
 それでも何とか立ち上がったニニルさんは、ふん、と鼻を鳴らして俺にそっぽを向いてしまった。
「……で、どうする?」
「取り敢えず拷問でしょう。何故ここにいるのか聞かないといけませんしー」
「だな。しかしミゥ、お前今あの薬持ってるのか?」
「流石にー。でもこっちに来てから新しく作ったお薬もありますしー、まあまあ行けるんじゃないかと」
「そうか。前はどれぐらい耐えたっけ? こいつ」
「確かー、二日目まででしたから…… 腕とか足とか切り落とすのはまだやってないんじゃないでしょーか」
 シゥとミゥの間で交わされる、何やら物騒な会話。
 ふと見れば、ニニルさんの唇の端は僅かに震えていた。
 無理もないと思う。今二人の間で交わされている会話の内容が、そのまま自分に降りかかる事になるのだから。
 加えて、それらの言葉が過去にあったという陵辱の古傷を抉り、恐怖を呼び起こすのだろう。
 見兼ねて、俺はまた口を挟んだ。
「待て待て。君らの会話はちょっと攻撃的過ぎるぞ。怯えてるじゃないか」
「怯えてなどいません」
 折角口を挟んだのに、即座に俺の言葉を否定するニニルさん。
 どう見ても怯えてるのに、本当に口の減らない人だな……
「だとよ、ご主人。遠慮はいらないそうだ」
「だが、まだ拷問に掛けると決まった訳じゃないんだろ?」
「こいつが自分から白状するように見えるか?」
 そうシゥに言われて、思わず言葉に詰まる。
 確かにニニルさんの先程までの言動から推察するに、ただでは口を割りそうには見えない。
「失礼な。質問と状況にも寄りますよ。勝手に決め付けないで下さい」
「……だそうだが」
「じゃあ言ってみろよ。何でこんな所に居たんだ?」
 ずい、とニニルさんに詰め寄るシゥ。
 ニニルさんはそんなシゥの視線に負けじと睨み返して、
「取材です。別雑誌で自然界の動植物についての特集を組む為に、許可を取ってこちらに滞在していたんです」
 と、淀みも思考の隙も全く見せずに、すっとそう言い放った。
「許可? 何処にだよ?」
「あなたはバカですか? 決まってるじゃないですか。ウルズワルド宝物管理局ですよ」
「バカで悪かったな。で、許可を取ったのはいつ頃なんだ」
「こっちで言う四ヶ月ほど前です。嘘だと思うなら調べてみて下さい。ちゃんと記録が残ってるはずです」
 四ヶ月ほど前。
 そうなると、彼女はひょっとして……
「なぁピア。四ヶ月前って……」
「――しっ、ご主人様。今は」
 口元に人差し指を立て、喋るな、のジェスチャーを送ってくるピア。
 しかしやや遅く、予想通りにニニルさんが突っ込んできた。
「何かあったのですか?」
「いえ、何もありませんよ」
「……そうですか? 私も先程から少々気になっていたのですが」
「何ですか?」
 ニニルさんは、ピアと、その隣に立っているヅィを交互に見て、
「族長とヅィ様が、何故こちらにいらっしゃるのですか? いえ、そもそも軍が何故? それも人間と一緒に。しかもさっきから聞いていれば、この人間をご主人、ご主人様などと。一体どういう事です?」
 と、一番痛い質問をしてきた。
「わらわの新しい趣向だと言ったら、お主は信じるかの?」
「いえ、申し訳ありませんが」
「ふむ」
「……なんですか、その視線は」
 ヅィの茶化した答えを受け流したニニルさんを、全員が鋭い視線で見つめる。
 そこでようやくネイが帰ってきた。
「申し訳ありません、遅くなりました!」
 彼女が手にしていたのは、奇妙な幾何学的模様がびっしりと刻まれた腕輪のようなものだった。
 どことなく奇妙な光沢があり、シゥが暴走した時のあの拘束具に似ているような気がする。
 まあ順当に考えて、今回も拘束用の道具なのだろう。
「遅かったの、ネイ。こやつに付けてやれ」
「はい、分かりま、し――」
「ネイ? あ――」
 ネイとニニルさん。
 二人が互いの姿を認め、やや硬直する。
「どうしたんだ?」
「い、いえ…… 取り敢えず、失礼しますね」
 先に硬直から立ち直ったのはネイ。
 未だ彼女を見つめ呆然としているニニルさんの首に、手にしていた拘束具を取り付ける。
 その細い首にしっかりと収まった拘束具は、ややあって青色の淡い光を放ち始めた。
「……はい、これでいいですね。 ――お久しぶりです、ニニルさん」
「何だ、知り合いか?」
「はい。徴兵される前に、少々」
 ネイがそう言って、再びニニルさんに視線を向ける。
 ややあって、ニニルさんがゆっくりと口を開いた。
「あの日以来お会い出来なかったので、もしかしてとは思っていたのですが……」
「はい。あの時届けて頂いた手紙です」
「そうでしたか…… いえ、無事でなによりです」
「そうです、ね。こんな形になってしまったのが、残念ですが」
 そう言われて、今気付いたかのようにニニルさんは一歩後ずさった。
 六人の誰もが、ニニルさんに対して微妙な視線を向けている。
 それは彼女の行く末を暗示しているかのような――そんな視線だった。

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ん~…

結構、剣呑ですね。
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