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ベルディラウスの名の下に02



 ――なんだ? この感情は。

 解せぬ…… 我が? 下賎な人間などに?
 あのような、小僧に?
 解せぬ……
 有り得ぬ…… 一時の気の迷いだとしても……


 神聖竜ベルディラウスは竜の姿で、天界に広がる無限の空を飛びながら、そんな事を考えていた。

『お前にもいつかは良き伴侶が見付かるだろう』

 というのはベルディラウスの父の言葉だが、その「伴侶」とは勿論、同じ神聖竜を指す訳であって。
 異種族――それも人間など――を伴侶にした神聖竜など、見た事も聞いた事もない。


 ややあって、ベルディラウスは空に浮かぶ一つの小島に着陸した。
 ベルディラウスの登場に、その場にいた、彼女の数倍の体躯を持つ紅竜や蒼竜が慌てて頭を垂れ、小島の森の奥から出てきた数人の天使が次々と彼女の前で跪いた。
 ベルディラウスは、それらの行為を全く意に介する事なく、界の鏡に用がある、出せ――と、そう言い放った。
 一人の天使が慌てて、ベルディラウス様ともあろうお方が下界に何の御用でしょうか、と聞くと、彼女は大変不機嫌な様子で、我に一天使が意見するというのか、面白い、と言った。
 その言葉に天使達は更に慌てて、最初に発言した天使の口を塞いで森の奥に引っ張って行くと、残った天使が彼女を界の鏡の元へと案内した。
 天使に連れられて界の鏡の元に辿り着いたベルディラウスは、その白銀の爪で鏡の淵に触れた。
 途端、鏡の表面に波紋が沸き立ち――下界の、彼女にも何処か分からない、ある場所が映し出された。
 鏡の中では、血色の髪を持った少年が、その自室らしき場所で、単独で召喚の準備を整えつつあった。
 ベルディラウスは性質の悪い笑みを浮かべ――
 天使達が止める間もなく、界の鏡の中にその身を投げ入れた。


 かくして――少年は、今度は失敗がないよう三日掛けて再構築した召喚式を再び失敗させ、神聖竜ベルディラウスは、己の気の迷いであろう感情を正す為に下界へと下った。


 解せぬ…… 我が? 下賎な人間などに?
 あのような、小僧に?
 解せぬ……
 有り得ぬ…… 一時の気の迷いだとしても……


 なんという事はない。
 これは、人間という下賎な異種族の一人の少年に一目惚れをした、やんごとない高貴な神聖竜の物語――



「うーん……」
 そんな声を上げながら、血色の髪を持った少年は、眼前の塔を見上げた。
「ベル、やっぱり止めておかない?」
「何をふざけた事を。シルス、お前は命を弄ぶ輩を生かしておいていいと思っているのか?」
 少年にベルと呼ばれた、腰まである銀の髪を持った少女は、その法衣の裾から伸びる竜尾を鞭の様にしならせながら憤慨して、自身がシルスと呼んだ少年の問いに答えた。
「うーん…… でも、なんだか不安なんだよね」
「戯言を言っていないで、早く行くぞ」
 言うが早いが、ベルは重厚な鉄扉に手を掛け――
「――ぐっ!」
 ――瞬間、ベルと扉の間に猛烈な火花が散った。
「ベル!」
「くっ、小賢しい真似を…… 下がっていろ、シルス!」
 ベルは数歩下がると、手甲に包まれた右手を真っ直ぐ扉に突き出した。
 不意に、彼女の銀髪の中から伸びている二本の角の周囲が瞬き――
「――うわっ!」
 ――突如発生した大爆発に、シルスの髪の毛が逆立った。
 同時、火花が散る音と共に、こちらに向かって次々と飛来する瓦礫が片っ端から迎撃される。
 爆煙が晴れた時には、塔の鉄扉は跡形も無くなっていた。

「……なんだ?」
 私は足元に緩やかな振動を感じ、まどろみから目覚めた。
「こんなのは普段は無かったね。何かな?」
 私の胸元で眠りに就いていた彼も目を覚まし、黒い羽を器用に使って外套から外に這い出る。
 彼は一度羽ばたいて窓枠に乗り、外を覗き込んだ。
 ややあって、こちらを振り返る。
「乱暴なお客さんだ。君のご主人様が危ない」
「そうか……」
 私はゆっくりと立ち上がって、部屋の扉に手を掛けた。
「ねぇ」
「なんだ?」
 彼の視線を感じて振り返ると、黒真珠の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「何で人間になりたいのか、覚えているかい?」
「……なりたいから、なりたいんだ。特に理由など無い」
「そうか。覚えているならいいんだ」
 私は視線を戻し、扉を潜った。
 背後からは、彼の陽気な声が聞こえる。
「行っておいで、彼の為に。そして、他ならぬ君自身の為に――」

「――はっ! ふっ、だあっ!」
 痛快な打撃音と共に、次々とスライムが四散し、ゴーレムが爆散していく。
 先頭に立って、ひたすらに無双の限りを尽くすベルは、未だかすり傷一つたりとも負ってはいなかった。
 それは彼女の後ろを着いて行くだけのシルスも同様で、彼もまたかすり傷一つたりとも負ってはいない。
 最初の扉以外には大した罠もなく、二人は早々に三階への階段を上ろうとしていた。
「ふむ…… 妙だな」
「うん、おかしいね……」
 聞いた話では、強力な合成獣の製造技術を擁する術師だった筈だ。
 だというのに、これまで二人の前に立ち塞がってきた面子は、各種スライムやゴーレム――即ち、人工無機兵器だ。
 合成獣どころか、有機生命体の一体たりとも出てはいない。
「最後の切り札としているのか、はたまた別の何かか…… 何にせよ、敵はお前を狙ってくる可能性が高い。注意しろ」
「分かった……」
 慎重に、それでも早々に足を進め、二人は三階へと上り、最初の部屋の扉を開けた。
「む……?」
 その部屋は、今までに通ったどの部屋よりも広かった。
 高い天井にぶら下がるシャンデリア以外に調度品や置物は何一つなく、左右の壁に小さな窓、そして丁度反対側の壁に扉が一つだけある。
 そんな、一つの階を丸ごと使った部屋の中央に「それ」はいた。
 ベルの倍はあろうかという巨躯。全身を覆う銀の体毛に、シルスの腕ほどもある指から生えた長大な爪。
 間違いなく、人間と狼の合成獣だ。
「ようやくお出ましか…… 邪なる命よ、在るべき輪廻の輪に還してやろう!」
 ベルが毅然と宣言し、相手を睨み付ける。
 喋る事も出来るだろうに、相手は何一つ喋る事なく、確かな知性の感じられる動作で戦闘体勢を整えた。

 一拍、そして――

「Gruaaaa!」
 部屋が振動する程の雄叫びを相手が上げ、それに呼応するようにベルが地を蹴った。
 五歩で相手の眼前まで到達したベルは、その勢いを殺さずに右の手甲を叩き込んだ。
 命中したのは左腕。
 即座に防御に割り込んだ、その丸太のような腕が、今までに受け止められた事のないベルの一撃を防いでいた。
「――はっ! だっ! く…… はあッ!」
 間髪入れずに叩き込まれる連撃。
 最後の一撃と同時に、ベルは宙を舞って距離を取った。
 瞬間、白の巨体が動く。
「――っ!」
 半瞬で、着地したばかりのベルの眼前に到達し、目にも留まらぬ速度で右の爪が叩き込まれた。
 これをベルは一瞬遅れて防御。辛うじて一撃を防ぎ――
 ――瞬間、ベルの脇越しに伸びた竜尾が、正確に相手の胸――心臓のある場所――を撃ち抜いた。
 鮮血が飛び散り、ベルの法衣に僅かに降り掛かる。
 竜尾を引き抜きベルが踵を返すと同時、相手は崩れ落ちた。
「ベル、大丈夫!?」
 シルスが駆け寄ると、ベルは手を腰に当て、胸を逸らしながら、
「あの程度の事、どうという事はない。心配など無用だ」
 そう言って、シルスに歩み寄り――
「……ッ! ベル!」
 後ろ――!
 そうシルスが言う前に、長大な爪がベルの背後から振るわれた。
 命中の寸前で、いち早く反応した竜尾がその一撃を受け止める。僅かに鮮血が散って、金色の鱗の破片が宙を飛んだ。
「く……! 馬鹿な……!」
 銀の狼は、以前と変わらぬ姿でそこに立っていた。
 胸の貫通痕は跡形も無く、ダメージを受けた様子すらない。
「小癪な……!」
 再び、竜尾が跳ねる。
 稲妻もかくやと思われる速度で相手に向けて直進し、瞬時に喉、胸、脇腹を貫いた。
 防御する様子すら見せなかった相手は無防備にその三撃を受け、しかし僅かにたたらを踏んだ程度で、竜尾が引き抜かれる端から凄まじい速度で再生している。
「なんと面妖な…… こうなったら一撃で木っ端微塵にしてくれる!」
 ベルは手を突き出し、力を込めて――
「――はい、そこまで」
 ――そんな冷静な声が部屋に響いた。
 声の主はベルの背後。それは即ち――
「……っ! シルス!」
 ベルが振り向くと、先程の声の主と思しき長身の男――その前にシルスはいた。
 ぱっと見て外傷はないが、その代わりに二人の女――猫と人の合成獣がシルスの両脇を固め、その首に鋭い爪を押し当てていた。
「う…… ごめん……」
「この…… 阿保!」
 ベルは取り敢えずシルスを罵ると、ゆっくりと長身の男に向き直った。
「月並みな台詞ですが…… 彼の命が大切ならば、寝転がって手を後ろに回して頂けませんか。物騒な尻尾も」
「……無駄だぞ。その男は我の単なる下僕に過ぎん」
「下僕かどうかはさておき、無駄という事はないと思うんですが…… 試してみましょうか」
 男の合図で、猫人の片方がゆっくりとシルスの首に掛けた指先に力を込める。
 ややあって、その爪先から血の珠が浮き出し――
「――止めろッ!」
 たまらず叫んだのはベルだった。
 怒りを抑え切れぬ表情で、男を睨み付ける。
「では、言う通りにお願い出来ますか?」
「……っ」
 だが、ベルは動かない。
 それを見て、男は少し思案し、
「では…… これではどうでしょう? 二人とも。やってしまいなさい」
「――え?」
 そんな声はシルスの物。
 二人の猫人は、男の合図でシルスの外套を剥ぎ取った。
 そして――
「わ、ちょ、ちょっと!」
 片方の猫人が、シルスの前に回り、その頬を舐めくすぐった。
「――っ!」
 ベルの怒りが目で見ても分かるほどに跳ね上がり、しかし抑えた声色でベルは告げた。
「……その程度がどうしたというのだ」
「いえ、まだまだこれからですが。 ……続けなさい」
 男は涼しげな顔でベルの視線を受け流し、猫人に続きを促した。
 猫人の行為は更にエスカレートし、シルスの服と肌着を脱がせ、色素の薄い胸板に頬擦りしたり、シルスの手を掴んで自分の豊満な乳房に導いてみたり。
 そして遂に、その手がシルスの下半身に伸びた。
「ふふっ…… いいのかな~?」
 そこで、シルスの身体を弄っていた猫人が、初めてその口を開いた。
 ここ最近、恐らくはシルス本人とベル以外は触れた事のないシルスのズボンの縁を手に、猫人はベルに向かって扇情的な声色で挑発する。
 しかし、ベルはまだ動かない。
 その反応に気を良くした猫人は、シルスのズボンを下着ごと一気に引き下ろした。
「わわ、う、うぅ……」
「わあ、おっきい~!」
 半勃ちでも十分な長さと太さを持つシルスのモノに、猫人が歓声を上げる。
 猫人は一度、ベルを一瞥して笑い、
「……じゃ、頂きま~す」
 そう言って、手にシルスの肉棒を持ち、口を――
「――それ以上シルスに触ってみろ! 貴様、必ず生きたまま八ツ裂きにしてやるぞッ!」
 ――遂にベルが吼えた。
 猫人は肉棒に唇を着ける寸前で止め、ベルを見た。
 男が小さく笑いながら、言う。
「ですから、床に」
「っっ、下衆どもがっ!」
 ベルは再び最大限の声量で吼え、ゆっくりと床に伏せた。
 手を背中に回し、竜尾を垂れさせると、猫人のもう片方がやって来て即座にベルを拘束した。
「……さて、肝が冷えましたよ」
 男はそう言うと、シルスを見遣って、
「神聖竜ですか。それに貴方を大変好いているようだ。幸せですね、シルス」
「いえ、そんな……」
「誇っても良い事ですよ。何しろ前例のない事です。 ――ああ、もういいですよ」
 男がそう言うと、猫人の二人は即座にシルスに一礼して、乱した衣服を元に戻していく。
「――貴様ら、まさか……」
 ベルが額に青筋を立てつつ問うと、男は、ああ、とわざとらしく呟きながら――
「申し遅れました神聖竜様。私はヘイル。シルス君とは旧知の間柄です。シルス君が大変お世話になっております」
 ――などと挨拶した。

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