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短論:敵

 物語やゲームに敵は欠かせない。
 敵と一口に言っても色々ある。単なる途中の障害から、宿命の対決は避けられない相手まで様々だ。
 しかもそれは時として、確固たる形を持っていないものもある。自分の三角頭罪意識とか。
 共通して言えることは、敵は重要で、かつ魅力的でなければならない、ということ。

 ゲームとして悪い例を挙げよう。
 勇者が魔王とその軍勢を倒す的なRPGで、主人公が最初の野外フィールドに出る。
 そして雑魚モンスターに遭遇する。これが某有名RPGの青い物体だったとしよう。
 これが三体。主人公はひたすら殴って何とか撃破した。次の遭遇も、この青い物体が三体だった。
 その次の遭遇も三体だった。レベルが上がった。少し遠出をした。今度は五体と遭遇した。
 ひたすら殴って倒して倒してレベルを上げた。ダンジョンを見つけたので入ってみた。遭遇したのは、青い奴の色違いだった。
 奥に進んでみた。最奥で出てきたのは、青い奴のサイズ違いだった。問答無用で戦闘になったのでひたすら殴って倒した。

 私だったらしばらくは続けるかも知れないが、こんな調子が続けば急激にやる気は失せていくだろう。
 もしテストプレイか何かなら、A4用紙十枚以上に及ぶ改善要求に加えて、最序盤からこの調子で大丈夫なんですか? とでも言わざるを得ない。

 理由は、まず主題との相性の悪さだ。
 勇者が魔王とその軍勢を倒す的なRPGは、敵のバリエーションが敵のイメージに直結する。
 会社における社員ひとりひとりが会社の顔なのと同じ感覚だ。青い奴ばっかり出てきたら、魔王もこの類型なのでは、と思わざるを得ない。
 加えて、このタイプのゲームはしばしばレベル上げの必要性がある。その時にあまりにも同じ相手ばかり出てきたら、某誰かのように「テメエの顔も見飽きたぜ!」と言う元気すら失せそうだ。それがあっさり倒せるなら尚更である。楽は楽だが。
 この例なら、敵のバリエーションを富ませることで、魔王は様々な種族を支配下に置いている強者という見方も出来る。

 次に、敵の個性。
 この敵はどういう名前なのか。なぜそのような名前なのか。どのぐらい強いのか。なぜ強いのか。どういう生態をしているのか。
 世界観の話とも絡むことなのだが、その辺りの設定は地味だが重要である。
 特に、主人公が相対する敵が総じて最後の敵に繋がっていくのなら、個性の強い強敵やライバルといった存在は必要不可欠と言っていいかもしれない。
「こんな奴らを率いて、最後に待ち受けているボスは、一体どれほど凄い奴なんだろう」
 その期待感が、最後のボスの壮大さに繋がるからだ。勿論、最後のボスに最も魅力的な個性を付けることを忘れてはいけない。

 最後に、プレイヤー誘導の問題。
 万人向けの良いゲームとは、徐々に難しくなる障害をテンポよくクリアできる分かりやすいゲームの事だと私は思うのだが、いくら分かりやすくするためにと言っても、一々横から口を挟むような説明が入るのはゲームの勢いを損なうし、感情移入を妨げることもしばしばだ。
 そこで活用されるのがプレイヤー誘導で、あからさまな暗黙の了解、と言うべきか。多数の敵と相対する場面の少し前に、範囲を攻撃できるアイテムを貰えるだとか、防御力の高い敵の場合、防御力を下げるアイテムを、だとか。
 この手法はゲームの流れもそうだが、何より敵がよく練られていないと出来ない。パラメーターを全体的に上げて、外見を変更しただけの敵にこんなものは必要ないからだ。そういった敵は単純にゴリ押し、あるいはそのゲームにおいてテンプレート化した戦法でひたすら押せば片がつくことが殆どで、倒すことによる爽快感はあまり得られないだろう。
 そういった敵も必要性はあるのだが、万事その調子ではやはり飽きに繋がってしまう。

 結論すると、敵のバリエーションを豊かにし、それぞれ個性や設定を持たせ、節目節目のボスはゴリ押しで簡単に片付いてしまうことがないよう調整する。
 それだけで敵は格段に魅力的になり、戦闘が楽しいものになるだろう。ただ単にボタンを連打するだけの戦闘でも違って見えるはずだ。
 これは何もコマンド選択式のRPGに限った話ではない。恋愛物語だって、彼氏彼女や恋のライバルが魅力的(この場合、美女美男とは限らない)であるからこそ、恋の駆け引きが見ていて楽しいものになるのだから。

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