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フィフニルの妖精達23「閑話・不確かな世界の三人組 Ep1」

 ――そこは、自然豊かな部屋だった。
 部屋の上下左右は綺麗な木目の見える質のいい材木で出来ている。タンスや机、本棚、ベッドといった部屋の調度品も全て木製。角には立派な樹木をそのまま小さくしたような観葉植物があり、一つある出窓にもプランターが置かれていて、黄色の花を三つほど咲かせている。
 金属製の物と言えば、天井から釣り下がっているランプと、部屋の扉の脇に立て掛けられている剣と盾ぐらいだ。
「う……」
 と、不意に、ぽーん、ぽーん、というどこか特徴的な音が、その小さな部屋に流れた。
 音の出所は、部屋のベッド脇にある小さな棚の上に置かれた、時計と一体化した機械からだ。
 妖精炎を使って特殊な音を発する装置で、その動力源でもある小さな黄色の妖鉱石が小さく振動し、音を立てている。
「うー……」
 その音に煩わしげな唸りを上げたのは、ベッドに金の短髪を散らして眠る、この部屋の主。
 フィフニル族、ライ・ゴルディス・アンカフェット。
 生まれて百年も経っていない、若輩者の妖精。
「ん……」
 もぞり、と気だるげにライの身体が動き、手が伸びる。
 記憶だけを頼りに伸ばした手は、ベッド脇にある前述の機械――妖精用目覚ましを捉え、しかし掴み損ねた。
 ごと、という鈍い音を立てて、目覚ましが床に転がる。
 しかし音は鳴り止まず、ライに「時間だ起きろ」と訴え続けた。
 ライは対抗するように手をベッドの下に伸ばすが、いかんせん寝転がったままで届く訳もなく。
 ややあってその端正な顔にある眉が歪み、ぱちり、と瞼が開いた。
 隠されていた金の瞳に、覚醒の光が宿る。
「……ああ、もう」
 一つ呟いて、ライは身体を起こした。
 薄い掛け布団がライの絹のような裸身の上を流れ、ほどよい大きさの乳房を持った上半身が露になる。
 しかし気にした風もなく、眠たげな両の目をごしごしと擦って、床に足を下ろした。
「ん」
 半身を折り、床に落ちた目覚ましを拾って、妖鉱石に触れる。
 鳴り止んだ目覚ましを棚の上に置き直して、ライはベッドから腰を上げた。
 掛け布団が落ちて、ライの一糸纏わぬ裸身が部屋の空気に触れる。
 身長も体型も、ほぼフィフニル族の平均のそれ。無駄毛は一切なく、秘所にも綺麗な一本の線が入っているのみだ。
 悪く言えばこれといって特徴のない身体を空気に曝して、ライは部屋の片隅、壁に掛かっている外套状の服をその裸身の上から直接纏った。
 白地に金の紋様刺繍が成された、少々高級なもの。肌触りもよく、妖精炎の馴染みもいい、妖精が好む素材がふんだんに使われている。
 前のボタンを留めて、胸元に服のポケットから取り出したバッジを付ける。
 バッジに刻まれた紋章と文字は、低級ではあるもののウルズワルド治安管理権を示すもの。
 そうして仕事着の準備を終えたライは、部屋の扉の脇に立て掛けてあった片手長剣と盾を引っ掴んで、部屋を出た。


 ライがいつもの喫茶店に顔を出すと、彼女の同僚は既にいつもの席にいた。
「ういす、ライ! おはよう!」
「お早う」
 カウンターでグラスを拭いていた、この喫茶店の店長――同じフィフニル族――にそう短い挨拶を返して、ライはいつもの、大通りに面した見晴らしのいい外席に足を向ける。
 ライの接近に気づいた同僚は、挨拶の代わりなのか片手を上げた。
「お早う、フェイ」
「ん」
 朝食と思しきパンを咥え、帝都でも著名なアルフ速報紙に目を向けたまま、ライの挨拶に応えたフェイ・ブルード・ディアディシウス。
 ライの同僚であり、出会って数十年になる親友の一人だ。
「ん…… グリンは?」
「いや、まだ見てない」
「そっか」
 パンを千切って咀嚼し、それから呟くようにもう一人の同僚の事を問うフェイ。
 ライがその質問に否を返すと、それならそれでいいとばかりにまた食事に戻る彼女。
 そんな彼女の様子に、また何かあったのかな、とライはじっとフェイを見つめた。
 首後ろで纏められた、透き通った空のような青い髪。
 幸薄そうな、表情の少ない顔。片側だけ開かれた、線の細い瞳に嵌っている眼は綺麗な青水晶。
 ライよりも少しばかり背が低く、肉付きも薄い身体には、ライのものと同じデザインの――青地に金の装飾だが――服を纏っている。
 胸元に付いたバッジは、ライと同じ低級治安管理官のもの。
 それを目に留めて、ライは複雑な表情になった。
 フェイが治安管理官になった、あまり褒められた物ではない理由を思い出したからだ。
 気持ちは分からないでもないが、それを成して何になるのだろう、とライはいつも思う。
 勿論、口に出す事はない。言えばフェイはとても不機嫌になって、ついでに、君はまず君の事を考えた方がいい、としっぺ返しをされるだけだ。
「また夢でも見たの?」
 取り敢えず、一番ありがちな原因を口に出すと、フェイの青い瞳がゆっくりとライを捉えた。
「……まあ、ね。よく分かったね」
「大体、そんなところじゃないかなと思って」
 当たっていた事に内心で安堵の息を吐く。
「伊達とかで六十五年も相棒やってるんじゃないんだから」
「六十五年、か。左も右も分かってなかったあの頃の君を思い出すね」
「そんな事いちいち思い出さなくて宜しい」
 フェイの口許に微笑が浮かぶ。
 それに釣られるように、ライも安堵の笑みを浮かべた。
 フェイの機嫌が直ったのを切っ掛けに、ライは本題を切り出す。
「で、今日の仕事だけど」
「うん。確か、この前の続きという事だったね。僕が追いかけて、君とグリンが捕まえる奴だ」
「そうなんだけど、ちょっとややこしい事になってね」
「ややこしい?」
「詳しくはグリンが来たら話すけど…… 例の四人組がね」
「あいつらか……」
 四人組、という単語を聞いて、額を押さえ息を吐くフェイ。
「出来ればもう関わり合いになりたくなかったんだけど」
「こっちはそうだけど、向こうがどうにもね…… あ、来た」
 ライの言葉にフェイが視線を向けると、朝靄の漂う大通りをこちらに向かって全力飛行する茶の妖精の姿が見えた。
 少し遠く分かりづらいが、あれは確かにもう一人の同僚のグリン・グラウル・グランワルトだ。
 ライとフェイが見つめる中、グリンは大通りを突っ切って二人のテーブルの傍で急停止すると、少し荒い息を吐いた。
「っ、は、おはようございますです」
 最後に一つ息を吐いて、やや口早に挨拶を述べたグリンをライは見上げる。
 早朝からの高速長距離飛行で少しばかり汗を流す、真面目で活発で、表情豊かな顔。大きな瞳に嵌った眼は、色濃い琥珀。
 ライのものと同じデザインの――こちらは茶地に金の装飾の――服を纏った身体は、厚めの布越しでもはっきりと凹凸が分かる。
 身長はフィフニル族の平均より高いが、出ているべき所は出て引っ込んでいるべき所は引っ込んでいる身体を持つ彼女にとっては見栄えがいい。
 そんな彼女、グリン・グラウル・グランワルトの身体をライはいつものように少しだけ羨ましいと思いながら、挨拶を返した。
「お早う」
「おはよう。遅刻だよ」
「二人が早いんですよ」
「君の作った目覚ましのお陰でね。で、あれを作った人が寝坊で遅刻ってのは、どうなんだろう」
 口許に微笑みを浮かべたまま、フェイがそう皮肉を投げかける。
「ね、寝坊じゃないですよ! 妖精炎の籠手の調整を朝早くからやってまして――」
「あとちょっと、あとちょっと、でついつい長引いた、と」
「う…… と、ともかくですね」
 耳が痛い話を半ば強引に切り上げ、グリンは腰の鞄から大きな若草色の布包みを取り出した。
 封を解き、中から現れたのは、緻密なデザインが成された白銀色の籠手。手の甲の部分に嵌っている無色の大きな妖鉱石が目を引く。
「改良は終わりましたです。これでようやく、通常の戦闘には困らないだけの妖精炎が扱えるでしょう。回路系を整頓、調整して、無駄がないようにした上で妖鉱石の増設と、高効率加工をしましてですね、なんと――」
「ああ、難しいことはいいから。要するにどう変わったの?」
 長くなるであろう説明を遮ったライに、グリンはむう、と頬を膨らませ、
「持続時間の方は普通に使って十五分ぐらいにはなったと思いますです。出力はおおよそ三割増しといったところでしょうか」
「ふむ、よろしい」
 ライは満足げに頷き、籠手を左腕に着けた。同時、ライの背中から笹の葉のような金の翅が三対六枚現れ、すぐに消える。
「問題ありませんですか?」
「大丈夫、いい出来。 ――じゃあ、今日の仕事の話なんだけど」
 籠手の妖鉱石をさっと撫で、ライは視線を二人に戻した。
「内容自体はこの前の続き。でも、今度は例の四人組が絡んでくるでしょうから、早めに終わらさないといけない」
「四人組、って…… あの?」
「アレ以外に誰がいるの」
 言うと、途端にグリンは涙目になって、二、三歩後退りする。
「済みません、今日は帰ってもいいですか……?」
「駄目よ。公務なんだから」
「うぅ…… 苦手なんですよ、あの子達」
「僕やライだってそうだよ。我慢しよう」
 怖気付くグリンを言い聞かせ、ライとフェイは席を立つ。
 店主の見送りの声に振り返らずに応え、三人は揃って大通りに降りた。そのまま進路を南に取る。
「それにしても、十五分か。飛んでいって仕事を済ませて…… 帰りを徒歩にすればぎりぎりかな?」
「そんなところかな。うーん、何とかしないとね」
「済みませんですが、それ以上の改良はちょっと難しいですよ?」
「仕事の時だけ使えればいいんだけど、そうなると移動がね…… 歩幅の広いエルフが羨ましい」
「やっぱり、僕とグリンで抱えて飛ぶかい?」
「緊急時はそれでいいけど、出来れば避けたいわね。負担は掛けたくないし、それに格好付かない。幸運の妖精の力が泣くわ」
 まあ、こんな身体で幸運の妖精も何もあったものじゃないけど、と自嘲気味に言うと、ライはやや歩調を速めた。
 三人のやや前方で無数の枝が絡み合った大通りは途切れ、一本の太い枝に代わって更に前方へ伸びている。変わり目に立っているのは衛士の格好をしたフィフニル族の妖精が二人。彼女達に軽い会釈を交わし、三人は更に前へと進んだ。
 衛士の立っている場所から前方に数メートル進むと、途端に強い風が三人の周りに吹き付けた。ライだけがバランスを崩しかけ、しかし同時に彼女の籠手の妖鉱石が金色の光を放つと、何事もなかったかのように彼女はバランスを取り戻す。
「じゃあ、急ぎましょうか。夕方には戻りたいし」
「ああ。毎度の事だけど、制御に気を付けて」
「一気に妖精炎を引き出すと不安定になる恐れがありますから、注意してくださいです」
「分かった」
 聞き慣れた忠告を苦笑して受け、ライは背中に三対六枚の金色の翅を生成した。それに続くように、フェイも氷の翅を、グリンは岩石の翅を背中に生成する。
 そうして刹那の間を置いて、三人の身体は朝靄の漂う大森林の上空へと舞い上がった。

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