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フィフニルの妖精達10「閑話・赤と青」

 よく晴れた昼下がり。
 私はいつもの切り株に腰掛けて、いつものように歌の練習をしていた。
「――風と踊りながら、私たちは祈り歌う、フィエス、ラィ、ティマリェ……」
 歌っているのは、風の祈り、という、古くからある有名な曲だ。
 歌詞に古代語が混じる為、多少なりとも古代語の知識がなければ歌えない難しい曲。
 私の十八番でもある。
「フォ、セーリィ、ナ、トゥ、ゼノゥラス、ティエセ、フォ……」
 私はこの曲の緩やかな旋律がとても好きで、歌の練習をする時はまず初めにこれを歌っている。
 今の流行はどちらかというと躍動感のある曲だから、外れているといえばそうなのだが。
 ややあって歌詞が終わり、ひとつ深呼吸をすると、どこからともなく拍手の音が聞こえてきた。
 ふと疑問を覚え、辺りを見回す。
 私がここで練習しているのは友人であるフィスぐらいしか知らないはずだ。そしてフィスは私のよく歌っているこの歌に拍手を送る事はない。
「こっちです、こっち」
 そんな声がして、私は自分の背後上空を見上げた。
 そこにいたのは、肩掛け鞄を提げた見慣れない妖精の姿。
 やたら丈の短い白のワンピースと、その上に羽織った黒い外套が、その妖精の鮮やかな橙色の短髪を印象的にさせていた。
「……失礼ですが、何方でしょうか?」
 そう聞くと、橙色の髪の妖精は私の眼前にゆっくりと降りてきて、ぺこりと小さく頭を下げた。
 近くで見て、直感的に理解する。同族――フィフニル族、か。
「突然のご訪問、失礼します。私、ラーザイル報道局のニニル・ニーゼスタス・ラーザイルと申します。以後お見知りおきを」
「……ああ、ひょっとして」
 ラーザイル報道局なら聞いた事がある。
 各地で起きた出来事などを紙に纏めて売る――人間やエルフで言う新聞を、妖精の間で発行している所だ。
 しかし、妖精は識字率が低い上に三日以上過去の事はどうでもいい性格の者が非常に多い。だからまったく売れていないという。
 私が聞いたのはそんな話だった。
「ご存知でしたか?」
「はい。と言っても、噂だけですが。珍しい商売をされているとか」
「珍しい、ですか。確かにそうかもしれませんね」
 ニニルさんはそう何でもない風に言いながら、自身の肩掛け鞄の中からペンと手帳を取り出した。
「さて、ネイ・レイドラース・ケイルディウスさん」
「ネイでいいですよ」
「ではネイさん。この度は次月の舞踏会で引き続いての歌い手任命、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「つきましては、現在のお気持ちなどをお聞きしたいのですが」
 言って、ニニルさんはペンを手帳に立てた。
 なるほど、取材という事か。
「嬉しいです、とても」
「ふむ、では舞踏会に向けての心意気などありますか?」
「いえ、特に。いつも通り、皆さんが楽しめるよう歌わせて頂くだけです」
「そうですか…… お話、ありがとうございました」
 さらさら、と素早くペンを走らせるニニルさん。
 全く淀みのない筆の動きは、流石は新聞を書いているだけあると素直に思わせるものだった。
「凄いですね」
「へ? 何がですか?」
「それですよ。そんなに早く字が書ける人は妖精の中には殆ど居ないと思います」
「……あ、ああ。ありがとうございます」
 何が意外だったのか。
 ニニルさんは僅かに目を丸くし、頬を僅かに染めて小さく頭を下げた。
 ペンの動きを再開させ、しばしの後、とんとん、とペンで手帳の隅を叩きながら呟くようにニニルさんは言う。
「私からこんな話をするのもなんですが、字の事を褒められたのは初めてです」
「そうなんですか」
「ええ。 ……つかぬ事をお聞きしますが、ひょっとしてネイさんは字を書ける方ですか?」
「はい。ラフィ語と古代語を少々」
 ラフィ語は妖精郷で生きる妖精が一般的に使う言語だ。
 いわゆる象形文字ではない、千七百年ほど前に妖精族の間で制定された言語で、族固有の言語に比べれば使いやすいのが特徴である。
 しかし識字率は一向に上がっていない。正直、話せさえすれば妖精郷で生きるには何の問題もないからだ。
 古代語は遥か昔にエルフと妖精の間で共通して使われていた言葉で、今は話せる人は非常に少ない。
 私は、私の歌の師が普通に古代語で話す妖精だったので、その関係で難なく使う事が出来る。
 私の誇れる特技の一つだ。
「そうでしたか。確かに、風の祈りを歌うには古代語の知識が要りますしね。私は好きですよ、あれ。ネイさんのは特に」
「そうですか、ありがとうございます」
「発音やイントネーションが綺麗で、全く違和感がないです。あそこまで歌える人はそういませんよ」
 言って、ニニルさんは再びペンを走らせた。
 手帳の白いページが、あっという間に黒くなっていく。
 最後に、少し悩んだ様子でペンを端の余白で止め、何事かを書き込んで手帳を閉じた。
「ありがとうございました。お時間を取らせてしまって申し訳ありません」
「いえいえ。記事、楽しみにしています」
「完成したら、お届けに参りますね。 ……ああ、そうそう」
 届けるで思い出したのですが、とニニルさんは鞄を漁って、一通の封筒を取り出した。
「それは?」
「私、郵送業務とかも引き受けてまして。ネイさんにお届けものです」
 受け取る。
 正四角形に近い、長方形の白い封筒。宛先は確かに私だ。
 差出人は…… 書いてない。
「差出人、書いてないですね?」
「それ、国から預かったものです。何かお呼び出しじゃないでしょうか?」
 それでは失礼します、と言ってニニルさんは飛び立っていった。
 国? と私は疑問符を浮かべながら、封筒の封印を――
「――ネーイっ!」
「っ、ひゃあ!?」
 後ろから何者かに抱き付かれ、思わず素っ頓狂な声を上げる。
 こんな事をするのは――
「フィス! あまり驚かさないでよ!」
「えへへ、ごめんごめん」
 返ってきた謝罪の声に、やはりか、と思いながら背後を振り向く。
 人懐っこい表情を浮かべた顔に嵌っている、サファイアの瞳。
 海のように青い髪を頭の両脇やや後ろで纏めたツインテール。
 私の友人である、同じ歌い手のフィス・ブルード・ニーフェンハスだ。
「さっきの誰? 何見てるの?」
「ええと、さっきのはニニル・ニーゼスタス・ラーザイルさん。取材にきたみたい。で、こっちは手紙」
 フィスの質問に順番に答え、手に持った手紙を見せる。
 すると彼女は私の手紙をさっと奪い取り、数秒それを見て、
「これ、私の所に来たのと一緒だー」
「え? そうなの?」
「うん。私、字が読めないからさー。ネイに読んで貰おうと思って持ってきたの。ほら」
 と、いつもの青いワンピースの懐から、私の手紙と全く同じものを取り出した。
 自分のと一緒に、フィスのを受け取る。
 宛先だけが違う、長方形の封筒。
「ねね、早く読んでみてよ」
「ちょっと待って、今読むから」
 何かの印章が入った蝋の封印を剥がし、中の手紙を取り出す。
 手紙は非常に質のいい羊皮紙で、グリムワットの花を象ったらしき模様と一緒に、僅か三行の綺麗なラフィ語が綴られていた。
“フィス・ブルード・ニーフェンハス。
 十六月七夜までに、帝都ウルズワルド国防局第三課に出頭せよ。
 ウルズワルド国防局”
「国防局に…… 出頭?」
「こくぼうきょく?」
 何ソレおいしい? とでも言いたげなフィスに不安を抱きながら、視線を向ける。
 そしてはっと気付く。
 そう、私にも同じ手紙が来ているのだ、という事を――


 何か大事だったらまずい、という事で、その日の内に私とフィスは荷物をまとめて帝都に向かった。
 およそ六夜の旅路。一体全体何事なのか、という不安があったのは最初だけで、二夜も経った頃には私とフィスは久しぶりの帝都の話に花を咲かせていた。
 ついでに何処を見にいこうだの。
 ついでに何を買おうだの。
 ついでに何を食べようだの。
 楽しい旅だった。
 帝都に、着くまでは。


 見た事もないような質のいい服を着て。
 着た事もない下着を着けて。
 持った事もない武器を手にさせられて。
 無機質な首輪を嵌められた時、もう後戻りは出来ないのだと直感的に悟った。
 八月のほどの間、軍学校に入れられ、フィスとは離れ離れになって訓練をさせられた。
 そして訓練終了から一月も経たない内の出撃。
「あの…… これは?」
 突然渡された書類を手に、私は疑問符を浮かべながら先輩の妖精騎士にそう問うた。
 先輩は、嫌そうに眉を顰めて、
「まあ、あれです。いわゆる遺書と、死んだ場合、自分の荷物とその遺書を誰に送るか、を書いて提出するんです」
「え……」
「まあ、適当でいいんじゃないですか。私達はエルフとかと違って血縁なんかありませんし。白紙でも問題ないと思いますよ」
「そ、そうですか……」
 私は小一時間悩んで、白紙にする事にした。
 死ぬ気がなかった訳ではない。送る人が居なかった訳でもない。
 ただ、こんなもの送られても迷惑だろうと思ったからだ。
 フィスの事が頭を過ぎる。
 結局、フィスとは国防局に出頭した時から離れ離れで、九月が経とうとしている今もまだ再開出来ていなかった。
 あの子の事だ。適正ありと診断され、前線の部隊に配備された私と違って、きっと後方の部隊にいるか、軍にはいらないと判断されたに違いない。
 フィスに送ろうかとも思ったが、やはり迷惑に違いないので止めておいた。
 そして、ほぼ私と同時期に徴兵された新人妖精騎士ばかりの部隊は帝都を発った。


 十月ほどの間に三回の大きな戦闘を経験し、私は生き残っていた。
 軍には長くいるらしい部隊長がいたお陰か、あるいは並みの妖精よりも強い妖精炎の力を持っていたお陰かは分からない。
 私の部隊は目立った戦死者を出す事なく、戦場を転々としていた。
 これならば戦争が終わるまで生き残れるのでは、とそんな希望を抱いていた。


 今思う。全く、甘かったとしか言いようがない。
「やあああああァァァっ!」
 一息。身体から空気を追い出して、手に持つ武器に力を込め、身体を急降下させる。
 振るった刃は妖精炎の力を受けて、その重量を増しながら、敵であるオーガの肩口に直撃した。
「グ、ぉ……」
 一撃を受けたオーガがたたらを踏む。
 私はその瞬間を逃さず、全力で妖精炎の魔法を練り上げ、放った。
 至近距離での凄まじい爆発。
 三メートルはあろうかという敵の巨体が断末魔もなく吹き飛び、ちりちりと燃えながら赤茶けた大地に横たわる。
 数十分に渡る戦いの末、もう起き上がらない敵をしばし見つめ、私は大きく息を吸った。
「ふぅ……」
 吸った息をゆっくりと吐いて、軽くなった右手を見る。
 私の身長の二倍ほどの長さがあった剣は酷使に耐えられなかったか、先程の爆発を最後に力尽きて刀身の半分ほどを失っていた。
 これはもう使えないと判断して投げ捨てる。
 代わりにと、手近に転がっていた私の身長の半分ほどの剣を腰に提げた。
 周囲を見渡す。
 荒れ果てた、この南方の大地――ミーシシル地方アジル山脈の麓を埋め尽くす、割れた宝石とオーガの死体。
 敵は壊滅。だけれど、私の部隊を含むおよそ十二部隊も、壊滅した。
 これでは任務を続ける事は不可能だ。
「……誰か、いませんか。残っていたら返事をお願いします」
 そう話しかけても、首から提げた念話結晶は沈黙しか返さない。
 届く範囲に誰もいないのか。それとも、私しか生き残っている者はいないのだろうか。
 そう思うと、虚無感が私を襲ってくる。
「……は、ぁ」
 とにかく、撤退しよう。
 生きてさえいれば、いつかまたあの子と共に以前の生活に戻れる。
 そう思い、私は踵を返して――
「――何処に行くんだ?」
 聞こえたそんな声に、俯いていた視線を上げた。
 視界に飛び込んできたのは、海のように青い髪のツインテールに、サファイアのような眼を持つ一人の妖精。
 思わず呼吸が止まる。
「……フィス?」
「あ? フィス?」
「……違うのですか?」
「人違いだ。俺はシゥ・ブルード・ヴェイルシアス。ウルズワルド帝国軍第二十四妖精騎士隊所属」
 そう名乗って所属を告げたシゥさんは、見れば見るほどフィスに瓜二つの妖精だった。
 ややつり目だけれど、笑えば人懐っこそうな顔とか。
 私よりやや小さい小柄な身体とか。
 妖精炎の力を冷気に変換する事を得意とするブルードの妖精名とか。
 他にもいくつかあるが、とにかく二人はそれほど似ていた。
「お前は?」
「え?」
「名前と所属だよ」
「あ、失礼しました。私はネイ・レイドラース・ケイルディウスです。ウルズワルド帝国軍第六十六妖精騎士隊所属です」
「そうか。まあ、任務ご苦労さん」
 シゥさんは気楽そうに言って、近くの岩に腰掛けた。
「俺達がここで戦ってる間に、本隊はアジル山脈を迂回して城塞都市ガ・リフェンを制圧した。ここで戦う意味はもうない」
「え…… それでは、これは」
「そう、ただの陽動だ」
 よくある事だよ、と言って、シゥさんは懐を探った。
 取り出したのは、睡草と呼ばれる危険な吸い薬。
 恐怖を取り除き、痛みを和らげてくれるが、強い常習性を持っていて一度吸い続けると手放せなくなるらしい。
 それで理解した。
 この人は、もう何度もこういった局面に遭遇してきたのだと。
「……では、もう撤退してもよいのではないですか?」
「それが傑作な事に退路がないんだな、これが。最後に聞いた情報だと、後方に同盟軍の妖精が来てるんだとよ」
「では、どうすれば?」
 聞くと、シゥさんはそこかしこに転がっている石くれを一つ拾い上げ、それで地面に何かを描き始めた。
 みるみる内に出来上がったのは、ここミーシシルを中心とした簡単な地図。
 東西をアジル山脈に囲まれた、荒れた平野。
 オーガの国へ繋がる玄関口の一つ、それがミーシシルだ。
「――アーニカス地方への道は、さっき言った通り同盟軍がいるから使えない」
 言って、シゥさんはミーシシルからアジル山脈に沿って北に向かう道に斜線を引いた。
「では、制圧されたガ・リフェンへ向かっては?」
「駄目だ。まだ途中にオーガの砦が一つある。見付からずに抜けるのは無理だろう」
 そうして、南への道にも斜線が引かれる。
 確かにこれではどこにも逃げられない。
「では、救援が来るまで待つのですか?」
「いや、上では、ここにいる部隊はもう完全に壊滅した事になってるからな。救援は期待出来ない」
 だから、と言って、シゥさんはアジル山脈を横切る形でミーシシルとアーニカスに線を引いた。
「アジル山脈に、山脈を南北にぶち抜く洞窟がある。そこを抜ける」
「そんな道があるのですか?」
「現地民の一部しか知らない道だがな。それに火口付近を掠める形になってるから、中は凄まじい温度になってるだろう」
 だから、お前の協力が必要だ、とシゥさんは言った。
「レイドラースの妖精名が伊達じゃないなら、溶岩洞を抜けるぐらい簡単だろ?」
 にっ、と笑いながら私を見るシゥさん。
 レイドラースの妖精名を持つ妖精は、つまりは妖精炎の力を炎の――熱を操る力に変換する事に長けた妖精だ。
 勿論、私も例外ではない。
「いける、と思いますよ。簡単かどうかは分かりませんが」
「なら決まりだ。さっさと行くぞ」
 言うなりシゥさんは翅を作り、飛び立った。
 私も慌てて後を追うが、シゥさんはかなり速い。
 負けられないとばかりに、私も自分の翅に強く力を送って――


 ――そこで、目が覚めた。
「……は、ぁ」
 深く息を吐く。
 最近はこの夢を見ても、動悸が激しくなったりする事はなくなった。
 とはいえ、やはり気分がいいものではないので、複雑なところではあるのだけれど。
「……ネイ? どうかしたのですか?」
「ピア……? 起きていたの、ですか」
 暗闇の中から聞こえてきた族長の声に、私は答えを返しつつ思う。
 呼び捨てでいい、と言われてそこそこになるが、やはり族長をそう呼ぶのはあまり慣れるものではない。
「大丈夫。いつもの、夢です」
「……そうですか。あまり無理はしないように」
 族長は私の夢の内容を知らないはずだ。
 けれど、族長はいつもそう言って、詳しくを知ろうとはしない。
 私がどういう経歴で軍にいたかは知っているだろうから、そこから大体の察しは付くのかも知れないが。
「ピアこそ、寝ていなかったんですね」
「……少し、寝付けなくて」
 暗闇から聞こえてくるその声は、どこか落ち着きのないものだった。
 私は深く息を吐いて、寝返りを打ち身体の向きを変えた。
 視界に入ってくる窓と、その向こうにある、一つしかない黄色い星。
 月というらしいその天体を眺めながら、私は妖精郷の夜空を想う。
 妖精郷の空にはイムとリハという二つの星が浮かんでいた。
 イムは青い星。リハは赤い星だ。
 二つの星は交互に妖精郷の夜を横切り、夜をその色に照らす。
 そして一月に一度だけ、イムとリハ、両方の星が空に浮かぶ夜があるのだ。
「……奇妙なものに感じますか」
 不意に、族長がそう言った。
 多少の疑問と、確認を含んだ声。
「何がでしょうか?」
「夜の色です。こんなに済んだ光が照らす夜を、私は美しいと思いますが、あなたは――」
 言って、族長は言葉を切った。
 そう。私にとって紫の夜は特別な夜だった。
 皆が歌い、踊って過ごす夜。
 そんな夜に歌う為に生きていた、あの頃の私を思い出す。
「……済みません。私が言える事ではありませんでしたね」
「いえ、お気になさらないでください」
 族長がそう申し訳なさそうに言葉を中断した理由はもう知っている。
 私やフィスが徴兵されたのは、族長が私達を選んだからなのだと。
 けれど。
「もう過ぎた事ですし、これはこれで良かったかなと思っています」
 その事で、別に族長をどうとは思えなかった。
「軍にいなければ、シゥや皆、勿論あなたとも出会う事は無かったでしょうし、命があったかどうかも分かりませんから」
 ウルズワルドの侵攻は大きく広がり、その戦闘で妖精郷のあらゆる地域が戦火に包まれた。
 私の住んでいた小さな村も例外ではない。
「でも、あなたは」
「いいんです。気にしないでください」
 族長の言葉を、思わず私は強く打ち切った。
 何を言おうとしたのか分かってしまったから。
 忌まわしい、夢の続きだ。


 気付けば、辺りはより深い沈黙に満ちていた。
 どうやらまた少し眠ってしまっていたらしい。
「……?」
 ややあって、妖精の気配が一つ足りない事に気付いた。
 咄嗟に跳ね起きる。
 辺りを見回すまでもなく、ご主人様と族長の姿が消えている事に気付いた。
 皆を起こさないよう、ゆっくりとベッドから降りる。
 外の様子を探ろうと和室の方に出たところで、机の上の書置きらしきものに気付いた。
『ご主人様と少し出ます。しばらくで戻るので、心配しないよう。 ――ピア』
 書置きは間違いなく族長の字だった。
 私は一つ息を吐いて、それならばゆっくり待つか、と洋室の方へと踵を返し、
 それを見た。
「ん……」
 安らかな顔で眠るシゥ。
 時折、居心地良さそうに口元を緩ませたり、居心地悪そうに眉を歪ませたり、寝返りを打ったり。
 そんなシゥが、まるであの子のようで。
「……っ」
 今でも思うことがある。
 シゥはフィスなんじゃないかと。
 悪戯好きのあの子だから、ひょっとして私をからかって遊んでいるのではないのかと。
 けれど――
「そんなわけ、ない」
 私は呟いて、部屋の隅にある自分の荷物へと歩み寄る。
 取り出すのは、あの日から肌身離さず持っている、小さな包み。
 帝国軍の印章が押された封を開き、中を今一度確認する。
 その中身は、青いワンピース。
 そして、一通の手紙。
 非常に拙い、判別の難しい字で、ただ一言。
 “ごめんね”
 ――そう書かれているだけの、手紙。
 もしこれが悪戯なのだとしたら、なんと性質の悪い悪戯なのだろう。
 そう思いながら、私の精神はあの夜に帰る。


「――何処に行くんだ?」
 真夜中の澄んだ空気に、穏やかな調子の、しかし剣呑な空気を伴った声が響く。
 その声に、私は歩みを止めた。
「シゥ、さん」
 王城の、テラスに沿った長い廊下。
 蝋燭の不確かな明かりに照らされながら、シゥさんは柱に寄り掛かって立っていた。
 虫のような、刃のような四枚の翅を顕現させ、その左手に握ったヴィガの氷剣核に青い妖精炎を灯した――臨戦態勢。
「なぜ、ここに」
「これだよ」
 言って、シゥさんはウルズワルド妖精騎士の制服の一つである、灰色の無機質な首輪を親指で示した。
 無論、それは私の首にも付けられている。
「こいつには監視と脱走防止の機能があるんだ。独特の波長を放ってるから、慣れれば相手の位置ぐらいすぐに感じ取れる」
 そうシゥさんは眉を歪ませながら言って、懐から取り出した睡草を口に咥えた。
「確認しておくが――脱走は問答無用で処刑だ。それを分かっていて逃げるのか?」
「にげる、などと」
「誤魔化すな。翅を出さずに自前の足で外に行こうとする奴のやる事なんざ一つしかねぇよ」
 柱から離れ、私の行く手を遮るように立ち塞がるシゥさん。
 穏やかな表情から放たれる言葉の調子は、決して攻撃的な雰囲気を持っていない。
 けれど、私はまるでシゥさんの冷気に凍りついたように、動く事が出来なかった。
「もう一度聞くぞ。逃げるのか?」
 確認するように、再度そう問うシゥさん。
 その瞬間、私は自分の中で嫌な感情が膨れ上がるのが分かった。
 それは、この理不尽な環境において、せめて決して見せるまいと溜め込んでいたもの。
「――あなたに」
「ん?」
 気付いた時には、口から零れ始めていた。
 いけない、と思うものの、感情は堰を切ったように止まらない。
 ただただ“シゥさんと同じ姿をしたあの子”に言葉を吐きかける。
「あなたに、そんなことを言われたくない! 私は、ただ戻りたかった! あなたと一緒にいたあの頃に!」
「……ちょっと待て、何を」
「それなのに、あなたが先に死んで! 私は、私はっ……!」
 もう限界だった。
 ぼろぼろと瞳から涙が零れ、私は地面に膝を付く。
 情けない、と心のどこかで思いながらも、私は嘆き続けた。


 ミーシシルの戦いから帝都へと帰還した翌日。
 私の元に届いた小包は、フィスから差し出されたものだった。
 あの子が最も好んで着ていた青のワンピースに、本当に短い、たった四文字の手紙。
 それらが何を意味するのか、分からない私ではなかった。
 フィス・ブルード・ニーフェンハスは、死んだのだ。
 私が戦っていたのと、同じ戦場で。


 どれだけの間、泣いていただろうか。
 不意に、私の眼前に小さな青い布切れが差し出された。
 顔を上げると、困り果てた様子のシゥさんの顔がすぐ近くにあって。
「大体、察しは付く。だが、毎回その調子だとお前の身が持たないぞ」
 そう言って、ほら、と手にした布切れで私の頬を伝う涙を強引に拭ってきた。
「……済みません。取り乱してしまって」
「気にするな。つらいもんだ。どいつもこいつも自分を置いて死んでいく、ってのは」
 一体自分が何の為に生きて、戦ってるのか分かんなくなっちまう、と。
 やや瞼を閉じて、息を吐きながらシゥさんは言った。
「どうする? 逃げてもいいんだぜ」
「……止めておきます。あなたに勝てるとは思えませんし、逃げ切れるとも思えない」
「いい判断だ」
 シゥさんは小さな笑みを浮かべて、テラスの柱の根元に座り込んだ。
 私も倣って、その隣に座り込む。
 天を仰げば、空に輝くイムが作り出した青い夜がそこにあった。
「いつまで、続くんでしょうか。この戦争は」
「さあな。妖精郷を統一すれば終わるのか、それとも世界を統一するまで終わらないのか」
 俺達、妖精にとってはどうでもいい結末だ、とシゥさんは息を吐く。
 確かに、この国がどういう結末を迎えたとしても、戦争が終われば生き残った妖精達は歌い踊る生活に戻るだけだろう。
 そう考えて、ふと、最近は全く歌っていなかった事に気付いた。
 同時、自然に頭の中を流れる旋律に、心を委ねる。
「フォ、セーリィ、ナ、トゥ、ゼノゥラス、ティエセ、フォ……」
 自分の声で青い夜に響いたのは、風の祈りの一節。
 あの子の傍で最も多く歌った、私の十八番――
「風の祈りか。いい声だな」
「ありがとうございます」
「前は歌い手か何かか?」
「ええ」
 歌を続ける。
 ふと気付けば、もう一つの歌声が重なってきていた。
 習熟の年季を思わせる、卓越した古代語。
 まるで、長年の夢だった、あの子と共に風の祈りを歌う事が実現したようで。
 私は涙を流しながら、ただひたすらに歌い続けた。


 歌が終わると、シゥさんは何かを思い出したように早々に立ち上がった。
「どうかしたのですか?」
「いけね、エイルに用事があったのを思い出した。いかねーと」
「エイル?」
「ああ、俺の新しい部隊長になる予定の奴。後で会わせてやるよ」
 何やら意地の悪そうな笑みを浮かべて私の疑問に答えたシゥさんは、ふと、真面目な表情に戻り、
「早まるなよ、何事もな」
 そう、警告をしてくれた。
「しかし、私には」
「何でもいい。生きる理由を探せ。あと少しの辛抱だ。この国は――長くない」
「それは、どういう……」
「さあな。じゃあ、また明日だ」
 私の疑問に答えずに、シゥさんはテラスの闇へと去っていった。


 後日、私はシゥさんと同じ部隊に配属され、新しい戦場へ発つ事になる。
 そして各地を駆ける内、族長、ミゥ、ヅィ様と出会って。
 ――あの混乱の日へと至る。


 私は包みを自分の鞄の中へ戻し、洋室へ戻って皆とは離れたベッドに寝転がった。
 瞳を閉じれば、そこには慣れ親しんだ闇の世界がある。
 寝る事は苦手だが、この闇の世界は好きだ。
 視覚という一つの雑音を遮断し、自分が望まないモノを少しでも遠ざける事が出来る。
 私の大切なもの。
 ピア、シゥ、ミゥ、ヅィ、ノア。
 暗闇の中、五人の姿が浮かんで消える。
 そして最後に、私達フィフニル族の妖精の三倍弱の体躯を持つ――ご主人様という人間。
 不思議なものだ、と思う。
 人間など、読み物では良く知っていたが、実際に見た事など数える程しかなかった。
 それも殆どは、私達妖精を捕まえて売り捌くという、とても恐ろしい事をする為に妖精郷へと立ち入ってくる人間。
 けれど、ご主人様は違った。
 私達を見て恐ろしいと逃げるでもなく、捕まえればと狂喜するでもなく。
 ただ目を丸くして、それでも私達の言う、とても信じられないような言葉の数々を信じてくれた。
 そして、私達を大切にしてくれる。
「名前、何て言うんだろう」
 ヅィ様はあの日以来、ご主人様の事を、悠、と呼ぶようになった。
 聞いてみれば、単なる渾名に過ぎないそうだけれど…… それでもヅィ様が羨ましかった。
 そして、あの日のミゥの言葉。
 私以外はご主人様と親密な関係になったと、そうミゥは言った。
 ミゥの言った「親密」が、どれほどのものなのか。
 ご主人様と口付けを交わしていたミゥの表情を思い出す。
 私は、幻燐記憶の受け渡しがあまり好きではなかった。
 というのも、私は人間やエルフの書いた読み物から、口付けは愛する者の間で行われる行為だという認識があったからだ。
 そして愛情が大きければ、その後に続く行為があるという事も知っている。
 妖精のフィフニル族に男女の区別はないが、人間やエルフから見ればフィフニル族は皆女性に当たるのだという。
 なら、人間の男性であるご主人様と、私達は。
「……っ」
 顔が急速に熱くなるのが分かる。
 何故か脳裏に浮かんだのは、見た事なんてないミゥのあられもない姿と、表情。
 そしてお風呂場で目にした事のある、ご主人様の裸体。
 二人は互いを気遣いながら、熱く激しく身体を重ねて――
 そこで私は堪らず目を見開いた。闇の世界は消えて、薄暗い部屋が視界に映る。
 自分の想像力に嫌悪感を覚えながら、寝返りを打った。
 いくらなんでもそこまでの関係であろうはずがない。馬鹿馬鹿しい。
 そう決め付けて自分の妄想を思考の外へ掃き出す。
 もう何も考えずに横になっていようと、私は目を薄く開いたまま全身の力を抜いて、肌触りのいいベッドに身体を預けた。

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今回はネイの過去が…。「フィフニルの妖精達」 まだまだ奥が深そうだなぁー
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