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フィフニルの妖精達08「赤の歌姫」

 平日の夕方、午後五時頃。
 俺は視界斜め上方にある時計を眺めながら、ふと呟いた。
「そろそろ終わったか」
「何がですか?」
 問うてきたのは、俺が横たわっているベッドの横にいる人物。
 何処から持ってきたのか、彼女らの身体の大きさに見合った小さな椅子に腰掛けて、本を読んでいる。
「学校だよ。大事な授業だったんだが」
「学校、ですか」
 耳に響く、柔らかで澄んだ声。
 そんな声に釣られて、視線を彼女に移す。
 さっぱりと短く切られた、血のように深い赤色の髪。
 細いフレームの眼鏡の向こうには、やや大人びた表情を浮かべている、ルビーの瞳が嵌まった端正な顔。
 赤の妖精――ネイ。
「学校というと、集団で勉学に勤しみ、集団行動における規範を学ぶところですよね?」
「……まあ、そんなところだ」
 やや硬い言い回しなのが気になるが、間違ってはいないので頷く。
「と言っても、俺の場合は専門学校だから、ネイの言う学校とはちょっと趣が異なるが……」
「どう違うのですか?」
「集団で勉学に勤しむのは変わらないが、規範を学ぶ事より技術を磨く事の方が重視されている。これは大学以上なら言える事だが…… つまり、一緒に勉強する仲間は友人であると同時に、技術の習得を競い合う敵、って感じだな」
「好敵手、ということですね」
「そうだな」
 ふむふむ、と興味深げに頷く彼女。
「ネイは学校は?」
「いえ、私の学校経験と言えば、八月ほど在籍していた軍学校ぐらいです。あまりお話しするような事がありません」
 彼女らの言う八月、というとおよそ二ヵ月半だ。確かに短い。
「なんでそんなに短いんだ?」
「私、軍には徴兵されて入ったもので。八月というのは、簡単な戦闘訓練と規則を学ぶ徴新兵用の訓練期間ですね」
「って事は、その後は……」
「はい。即最前線に送られました。ウェディス大河の防衛戦や、マヌスグの森でのゲリラ掃討など…… 幾つもの死地を転々としました。あの時の事は今でも忘れられません」
 そう真顔で語る彼女の言葉には、ある種の気迫があった。
 そういう所を見ると、こんな小さくて可憐な彼女達が、戦いを仕事とする軍人なのだという事を改めて思い知る。
「成る程。それで今こうしているって事は、ネイは強いんだな」
「そんな、とんでもありません。私は運が良かっただけで……」
「運も実力の内、というやつだ」
 笑いながらそう褒めると、恥ずかしげに頬を染める彼女。
「ピア達とはどうやって知り合ったんだ?」
「ええとですね、ミーシシルの作戦で、私の部隊が私を残して壊滅して…… そこで同じく部隊が壊滅して、単独で生き残っていたシゥと知り合いまして。それからですね」
「ほう」
「その後、二人で各地を転々としている間にピア、ミゥ、ヅィと知り合いまして。最終的に妖精騎士第三遊撃隊として編成されました」
 そう語るネイはどこか清々しい。
 以前のような余所余所しい態度など何処にも見当たらない。
「成る程なあ…… 逆に、戦争前、徴兵される前は何をしてたんだ?」
「前、ですか。お恥ずかしながら…… 妖精輪舞の歌い手をしていました」
「妖精輪舞?」
「はい。三人から三十人ほどの規模で輪になって踊る、妖精族なら何処にでもある伝統的な踊りです。その歌い手をさせて頂いていました」
 伝統的な踊りの、音頭取りか。
 恥ずかしげに言う彼女は、しかし誇らしげだ。
「結構、凄い事なんじゃないのか?」
「自分で言うのも何ですが、そうです。妖精の舞踏会の時は幾度も歌わせて頂きました。実力のある歌い手しか歌えないと言われる舞踏会で百回を超えて歌ったのは、私の誇りの一つです」
「そうか」
「はい。 ……あ、そろそろタオル取り替えますね」
「頼む」
 椅子から枕元に飛び乗って、俺の額に張り付いているタオルを引き剥がす彼女。
 熱を持ったそれを、ベッド脇に置いてある水を張った洗面器に放り込んで、冷やした後に引き上げて水分を絞る。
 それを再び俺の額の上に置いて、彼女は微笑みながら言った。
「はい、これでいいでしょうか?」
「ああ、いい感じだ」
 俺も笑って答える。
 何故、彼女にこんな世話をして貰っているのか。
 それは数時間前の会話まで遡る。


「――妖精風邪?」
「はいー」
 コリコリ、と。
 緑色の粉末が入れられた乳鉢の中で、白い錠剤のようなものをすり潰しながら彼女は答えた。
「身体組織の四割以上が妖精細胞によって構成されている生物にのみ発症する妖精病の一種でしてー。妖精細菌が粘膜接触する事により感染します。妖精ワクチンの投与で簡単に免疫が出来るので、殆ど絶滅した病気だったんですが……」
「なんで、それが俺に?」
「どーも、先日のヅィの魔法がいけなかったみたいですねー」
 俺の自室。
 もう昼も過ぎようかという時刻に、俺はまだベッドに臥せっていた。
「長くなるので詳しくは省きますがー、あの時、ヅィの魔法でご主人様の損傷した体組織とか失った血液を全部補填したんですけど…… あまりに強力過ぎて、ご主人様の人間としての部分まで妖精細胞に置き換わっちゃったんですよね」
「……という事は?」
「しばらくの間、ご主人様の身体はボク達に近い性質を持つ事になります。だから妖精特有の病気に罹っちゃったという訳ですねー。まぁ、一時的なものですけど。ご主人様は残念ながらどう転んでも人間なので、その内妖精細胞の方が侵食されて消えていくでしょう」
 緑の妖精――ミゥは、そんな話を少しばかり早口で告げると、掻き回していた乳鉢の中身を包み紙に入れ、俺の目の前に差し出した。
「取り敢えずこれを飲んでおけば、別の妖精細菌が入ってこない限り症状進行は防げますー」
「すまないな」
「いえいえ。本来ならあの時点でボクが気付いていなければならなかったんですよー。お詫びするのはボクの方です」
 言って彼女は頭を下げた。
 続いて、その後ろに控えていた白の妖精――ピアも頭を下げる。
「本当に申し訳ありません、ご主人様……」
「気にするな。これぐらいどうってことない」
 と言っても、本当のところは結構辛い。
 熱は三十八度を超えているし、身体の節々が痛い。
「ヅィには辛く当たらないでやってくれ。俺を助けようとしてやってくれた事なんだから」
「分かりました……」
「さて、ボク達もここから出ましょう。ボク達の誰が別の菌を持っているか分かりませんし……」
「ちょっと待て。じゃあ誰がご主人の世話をするんだ?」
 部屋の壁に寄り掛かっていたシゥがそんな疑問を発した。
 確かに、それは俺にとっても疑問ではある。
 するとミゥは、ふふふ、と意味ありげな笑いを漏らし、
「この中で確実に妖精細菌を持ってない人がいるんです」
「……いるのか? そんなの」
「妖精細菌は熱に弱いですから。つまり――」
 全員の視線がある一人に集中する。
「――え、え? 私、ですか?」
 注視されたのは、赤い護服に、炎をイメージしているらしき装飾模様。
 赤の妖精――ネイだ。
「他に誰がいるんですかー? ネイ、あなたにご主人様のお世話をお願いしますね」
「そ、そんな……」
 ルビーの瞳が動揺に煌く。
 そこへピアが止めの一言を告げた。
「ネイ、これはやるやらないではないのです。やらなければいけないのですよ。貴女がいつも言っているように」
「う…… わ、分かりました」
 いつか見たように、悲壮な決意を秘めた表情で頷く彼女。
 思わず不安を覚えてしまう。
「無理しなくていいぞ。自分で何とか出来なくもない」
「いえ、やります。やらせてください」
 ぐっ、と握り拳を作って嘆願してくる彼女。
 俺は一抹の不安を拭いきれないまま、彼女の看病を受け入れる事になり――


 ――最初の一時間は酷かった、と言っておこう。
 一応、ネイの名誉の為に言っておくが、彼女自身は相当頑張っていた。
 しかしその頑張りも空回りの連続では如何ともし難いのが現実である。
「ご主人様、タオル持って来ました!」
「……それはバスタオルだ。もっと小さいのがあるだろう」
「も、申し訳ありません!」
 とか、
「タオル、乗せますね……」
「――ちょっと待て。どう見てもタオルから湯気が立ってるんだが。逆だ逆。冷やして来てくれ」
「も、申し訳ありません」
 とか、
「よし、今度こそ……」
「乗せる前に絞ってくれないか…… 水浸しになる」
「も、申し訳ありません……」
 額に乗せるタオルだけでこれである。
 苦手とか以前に知識と経験が足りなさ過ぎると思うのだが。
 徐々に看病の要領というものが分かって来たのか、失敗が少なくなったのがつい先程の事。
 まあ、安心は出来ないが。
「――私、こういった事とは本当に無縁だったもので。先程は本当に申し訳ありませんでした」
 と、顔にでも出ていたのか、彼女が小さく笑いながら謝罪した。
 俺も小さく笑って、構いやしないさ、と返す。
「何事も苦手だからで逃げてたら成長しないって事だな」
「全くですね」
 二人で小さく談笑しながら、ゆっくりと午後の時間を過ごす。
 言うなら今だろうと思い、続けて口を開いた。
「しかし、不安だった」
「何がでしょうか?」
「ほら。ネイって俺に余所余所しかったから。嫌われてるのかと思ったんだが」
「あ…… 申し訳ありませんでした」
 思い当たる節があったのか、済まなさそうな表情になって頭を下げるネイ。
「あの時は、その、あのですね。 ……後ろめたくて」
「後ろめたい?」
「はい」
 頷いて、彼女は恥ずかしげに続ける。
「いえ、あの、最初は確かに、人間なんかをご主人様なんて呼ぶのが嫌ではあったんですけど…… こんな見ず知らずで押し掛けの私達に便宜を図ってくれる人に、隠し事や、騙すような真似をしてるのが辛くて……」
「ふむ」
「それに、ご主人様、何だか私達の事情とか見抜いてそうでしたから…… この人はどこまで察してて、それで何故私達を追い出したりしないんだろう、って変に疑ってたりもしてまして…… 本当に、申し訳ありません」
「成る程」
 思い出すのは、シゥの事件があった時の事。
 よくよく考えれば、確かにあの時のネイはそんな事を言いたそうだった。
「まあでも、最終的にこうして全部話してくれただろう?」
「は、はい。それは、そうですが」
「それともなんだ、まだ何かあるのか?」
「い、いえ! そんな事は決して!」
「なら、もう気にしなくていい」
 笑いながら言って、彼女の頭を撫でてやる。
「ちなみに、本当に追っ手が来たらどうするつもりだったんだ?」
「それは…… 可能な限りご主人様に被害が及ばないよう交戦し、無理そうならば早々にお暇するつもりでいました」
「それは困るな」
「え?」
「まだ短い期間だが…… 俺は君達の事が好きだ。こんな事が今まで無かったからかも知れないが、もう君達のいない生活はちょっと考えられない。それぐらい、好きだ」
「す、す、好き、ですか?」
「ああ。 ――だから、出て行く、なんて言わないでくれ」
 言って、ベッドの上にある彼女の小さな身体を抱き締める。
「ひゃ!? ご、ご主人様?」
「ん…… ネイの身体、暖かいな」
「あ、う、あ……」
 見れば、彼女は意味不明な呻きを上げながら、顔を真っ赤にして固まっていた。
 大人びて落ち着いているように見える割に初心なんだな、と思いつつ、その小さな頭を撫でる。
「それに柔らかくて…… いい匂いだ」
「そ、そ、そんな、柔らかいとか、ないですよ、胸、小さいですし、それに、い、いい匂いなんて、その、あの」
 狼狽し、恥ずかしさに震える彼女の声。
 そんな彼女の姿に耐え切れなくなって、俺は笑いと共に彼女を解放した。
「っ、くっくっ、初心なんだな、ネイは」
「――っ!? か、からかってたんですか!?」
 顔を真っ赤にしたまま、僅かに目を釣り上げる彼女。
 俺は笑いながら手を振り、謝罪する。
「いや、すまんすまん。好きなのは本当だ。ただ君の反応が面白くて、つい」
「つい、じゃないですよ、もう……」
「すまんすまん」
 謝って、彼女を抱く為に起こした上体を再びベッドに預ける。
 ふと見れば、時計の短針はそろそろ六時を指そうとしていた。
 一つ欠伸をして、息を吐く。
「夕飯は何なんだろうな」
「今日作るのはミゥとヅィですね。ご主人様、食欲は?」
「大丈夫だ」
「ではそのように伝えますね」
 言うと、ネイはベッドから降りた。
 何も無い空間に向けて手を突き出すと、その赤い瞳を閉じる。
 瞬間、赤い燐光がネイの背中に集約し、赤い翅が顕現。
 その直後、突き出した手の先に、何かがおぼろげに現れ始めた。
 彼女の身長の優に二倍はある、長大な物体。
 俺が連想したのはヅィの錫杖だったが、それとは形が異なる。
 上方先端がやけに大きい。俺の頭二つ分はあるだろうか。
「……はい、了解したそうです」
 彼女がそう呟いた瞬間、おぼろげにその姿を見せていた長大な物体はたちまちに消え失せた。
「ミゥに伝えました。『期待していて下さい。美味しかったら後日ご褒美お願いします』――だそうです」
「ご褒美、ね…… それとネイ、さっきのは何なんだ?」
「さっきの、ですか? 私の武器を媒体にした、通信魔法です」
「武器?」
「あ、はい。血歌の盟約と言いまして…… 実際にお見せした方が早いですね」
 言って、彼女は先程同様に手を前に突き出した。
 その手中に先程と同じ、長大な物体がおぼろげに姿を現し始める。
 違うのは、よりくっきりと輪郭が定まり始めた事。
 二、三度の瞬きの後には、その物体はしっかりとした形を持って彼女の手中に納まっていた。
 それは、人間からしても非常に巨大なハンマーだった。
 全体の基盤となっている、鈍い輝きを放つ血色をした金属。
 その所々にある割れ目の奥には、灼熱の溶岩に似た輝きがある。
「これが私の『血歌の盟約』です。妖精炎の力を込めて振り回せば、周囲に灼熱の炎を撒き散らします。また触れた相手のみを焼き尽くす事も出来る、優秀な武器です」
「ほう……」
 初めて目にする「相手を殺傷する為の道具」を見つめていると、彼女は不意に、あ、という声を上げた。
「どうした?」
「いえ、ちょっとこの血歌の盟約には約束事が一つありまして……」
「約束事?」
「はい。これを作ってくれた妖精竜との約束でして……」
 そう言ってから、何やら息を吸って吐いてしていたかと思うと、彼女は恥ずかしげに言った。
「あの、ご主人様の耳障りでなければ、ここで少し歌っても宜しいでしょうか?」
「ああ、いいよ。俺もネイの歌が聞いてみたい」
「あ、ありがとうございます」
 頭を下げて、ネイはその手の「血歌の盟約」をベッド脇の壁に立て掛けた。
 そこから四、五歩離れて、小さく息を吸う。
「――では、失礼致します」
 直後、彼女の口から軽やかな旋律が流れ出した。
 どのような楽器をも凌駕する、美しい歌声。
「――、――、――♪ ――、――、―、――♪」
 妖精の言葉なのか、歌詞の意味は全く分からない。
 だが、それでもそのメロディは聞くもの全てを魅了できるであろうほどに素晴らしいものだった。
「――いかがでしたでしょうか?」
 彼女の声に、俺は我に返る。
 気付けば旋律は終わり、彼女は恥ずかしげに俺を見ていた。
 およそ二分ほどだっただろうか。
 息をするのも忘れて聞き入っていた俺は、まず一呼吸してから両手を重ね合わせ、拍手を送った。
「いや、凄かった。歌詞はよく分からなかったが…… それでも凄いと思ったよ」
「あ、ありがとうございます」
 一礼し、壁に立て掛けた血歌の盟約に歩み寄る彼女。
 先端の打撃部に優しく手を触れる彼女を見て、俺はふと思った疑問を口にした。
「歌を歌うのが約束なのか?」
「はい。作ってくれたのはアジルという妖精竜なのですが、彼が血を注いでこれを作る代わりに、毎日、歌を聞かせてくれ、と……」
「だから『血歌の盟約』なのか」
「はい」
 なるほど、と頷いて、血色の槌への認識を改める。
 これは「相手を殺傷する為の道具」ではなく、アジルという妖精竜の想いが込められた、ネイを護る「御守り」なのだろう。
 顔も知らぬ相手に心の中で礼を送って、俺は時計を一瞥した。
 先程連絡して作り始めたのなら、三十分は掛かるだろう。
「ネイ、良ければもっと君の歌を聞かせてくれないか?」
「え、しかし私、人間の歌はよく……」
「いや、妖精の歌でいいんだ。駄目か?」
「いえ、そんな! 私でよければ歌わせて頂きます!」
 彼女が小さく一礼し、大きく息を吸う。
 俺が笑って迎えると、彼女もそれに微笑みで応えてくれた。
 ――そして、再び旋律が流れ出す。


 あれからネイは八曲ほどを連続して歌ってくれた。
 夕飯の呼び掛けで中途半端に終了してしまったが、小さくも素晴らしいコンサートだった。
「――どうしたんですか? 手が止まってますよ」
「あ、ああ。いい歌声だったな、と」
 ミゥとヅィが作ってくれたクリームシチューを食べる手を止めて、俺はネイの歌っていた姿を脳裏に呼び起こす。
 柔らかで繊細な美しい歌声。
 瞳を軽く閉じて朗々と歌う彼女は、まるで天使のようだった。
「ま、またそれですか。褒めて頂けるのは嬉しいのですが……」
「が?」
「恥ずかしいので、ほどほどにして頂けると嬉しいです」
 顔を朱に染めて言うネイ。
 そんな彼女に俺は小さく笑いながら言う。
「いいじゃないか。本当に凄かったんだから」
「あぅ…… 歌った事、ちょっと後悔しています」
「何故?」
「先程も台所に行った際に―― あ…… いえ、やはり何でもありません」
「ん? どうした? シゥやヅィ、ミゥにでもからかわれたか?」
 一番容易に予想が付いた事を言ってやると、より恥ずかしそうに彼女は俯いてしまった。
 どうやら当たったらしい。
「何てからかわれたんだ?」
「あの、その、あれです。あ、う、うぅ……」
 言いかけて、しかし頭を抱えて唸ってしまう彼女。からかわれたのが余程恥ずかしかったらしい。
 一体何を言われたんだろうか……」
「ま、まあ気にするな。向こうだって本気じゃないだろうし」
「だといいのですが…… あぁ、もう……」
 顔を手で覆いながら苦悩する彼女。
 俺は軽く笑いながら、再びシチューに手をつけた。
 ちゃんと食べやすい大きさに切り揃えられた野菜や肉に、十分にとろみのあるスープ部分。
 毎度の事だが、五人の誰が作った料理でも非常によく仕上がっているように思う。
「そう言えば、ネイは料理は駄目なんだったか?」
「あ、はい…… 申し訳ありません」
「別に謝る必要はない。練習はしてるのか?」
「いえ、ご主人様の金銭で買って来て頂いた食材を無駄にする訳にはいきませんし、何よりピアに禁止されていまして」
「ピアが?」
「はい。後片付けが大変だからと。後、食材に謝らないといけない、なんて言われた事もありまして……」
「……それは酷いな」
 一体どんな料理を作るんだ?
 大抵の料理は手引書とかを見ながら丁寧に作れば問題ない筈だが。
 と、そこまで考えて、先のタオルの事を思い出す。
 塩と砂糖とか、その辺りなんだろうか……
「――そう言えば。料理で思い出したんだが」
「あ、はい。何でしょうか?」
「君達って殆どモノを食べてないよな。それで本当に大丈夫なのか?」
 以前、シゥに果実酒を買っていった事があるから、飲食をしないという訳ではないはずだ。
 そう思って聞くと、彼女は少しだけ思考の唸りを上げた後、
「少なくとも、生命活動の維持には問題ありません。ですが、普通の妖精はストレスが溜まると思います」
「ストレス?」
「はい。我々妖精は本来、食べて歌って踊って悪戯をして、が本能のようなものですので。飲食の途絶によるストレスは多少なりとも発生すると思います。この辺りはミゥやノアの方が詳しいでしょうが」
「じゃあ君達はストレスが溜まってるんじゃないのか?」
「いえ。確かに、その、自然界にある美味しいものを食べたいなー、という欲求はありますが…… 我々妖精騎士は長時間に渡る作戦行動の為に断食の訓練をしていますので。平気です」
 それに、と付け加えた後、彼女は少し恥ずかしげに俯いて、
「その、食べたり飲んだりすれば、その分出るものがありますので…… ある程度のコントロールは出来るのですが、溜めておくと弊害が出る時がありますから。それに、人間用のお手洗いは使いにくい、というのもあります」
「あー……」
 言われて、ミゥとの情事が頭を過ぎる。
 彼女とは後ろの穴で交わる事もあるが、確かに一つの汚れもなく、綺麗で清潔そのものだ。
 彼女自身も初めての時に言っていたが、あれは一切飲食をしていないから、という事か。
「分かった。済まないな、こんな話をさせてしまって」
「い、いえ。ご主人様に我々妖精の事を知ってもらうのは私達に取っても望ましい事ですから」
「そうか。まあ、君達の待遇についてもう少し考えてみるよ」
「は、はい…… こちらこそ、お食事中に申し訳ありません」
 そこで会話が途切れ、微妙な空気になってしまう。
 ただでさえ恥ずかしいのが苦手な彼女に、下の話は少し相性が悪かった。
 反省しつつ、新しい会話の糸口を――
「――ご主人様、お食事終わりましたかー?」
 探る、までもなく。
 部屋の扉を開ける音と共に、のんびりとした調子の声が耳に届いた。
 声の主は確認するまでもない。
 つい先程、俺の脳裏をあられもない姿で過ぎった緑の妖精――ミゥだ。
「ミゥ? いいのですか、入ってきて」
「大丈夫ですよー。さっきやっと検査を終わらせて、ボクの身体には細菌はいない事が分かりましたから」
 えへへ、といつものように笑いながら、ベッド脇まで駆け寄ってくるミゥ。
「ご主人様、お料理美味しかったですかー?」
「ああ。相変わらず美味しかったよ。店でも開けるんじゃないか?」
「えへへ、ありがとうございますー。でも面倒なので好きな人にしか作りたくないのですよー」
「そりゃ光栄だ」
 両手を伸ばすと、ミゥはその小さな手で俺の手首を掴み、器用にベッドの上へと登ってくる。
 そのまま俺の胴の上に山乗りになると、上体を倒して俺の胸の位置に抱き付いてきた。
 ややあって漏れる、はふー、という幸せそうな吐息。
「ごしゅじんさまー」
「何だ?」
「ボク、今とっても幸せですー」
 んー、と柔らかく唸りながら布団越しに頬をすり寄せてくるミゥ。
 毎度の事だが、触れ合ってくる時はやたらテンションが高い。
 それは嬉しいのだが。
「そうか。それはいいが、ネイが固まってるぞ?」
「はいー?」
 二人でベッドの傍にいるネイに視線を向ける。
 ネイは俺とミゥを見て、何やら目を丸くして固まっていた。
 ややあって、頬を朱に染めつつ恐る恐る訊いてくる。
「あ、あの。ミゥ、貴女はいつからそんなにご主人様と親密に?」
「あら? 嫌ですねぇネイ、気付いてなかったんですかー?」
 うふふ、と何かを企んでいそうな含みのある笑いを漏らした後。
 ミゥは、この際だから言っちゃいましょうか、と言って、告げた。
「ネイだけですよ、後は」
「な、何がですか?」
「ですから、こーんな風に――」
 言って、ミゥは上体を起こし、少しだけ身体を前に進ませた。
 次いで俺の首に腕を絡めてくる。
 何をしようとしているのか察した俺は、少しだけ顎を動かした。
 そこへミゥが近付いてきて、俺の頬に柔らかい感触が当たる。
 頬への、ささやかな口付け。
「ご主人様と親密な関係になってないのが、ですよ」
「は、はい? どういう――」
「ピアも、シゥも、ボクも、ヅィも、そしてノアも―― 皆、ご主人様とはこーいう関係になったんです。ですからネイだけ、と」
 ピアやノアに関しては語弊があるような気がするが…… 恐らく分かって言っているのだろう。
 意味を察し、真っ赤になって固まっているネイに、それを見て微笑みを浮かべているミゥ。
「分かりますよねー、ネイには」
「な、何が……」
「親密な関係っていうのが、どういう関係か、って事ですよー」
「いえ、その、私には、よく」
「嘘。だって人間の恋愛小説とか好きじゃないですか」
「う、あ、あれは……」
「ボクも前はそんなのに興味無かったから気にしてませんでしたけど…… 蕩けるように甘々なのが好きなんですよね、ネイは」
「あ、う……」
 どんどん口数が少なくなっていくネイ。もはや一種の羞恥プレイである。
 俺は一つ息を吐いて、ミゥの頭を軽く叩いた。
「その辺りにしておけ。ネイが困ってるだろ」
「むー、仕方ないですね。それじゃあご主人様、お約束のご褒美だけでもお願いしますー」 
「はいはい」
 笑って、ミゥの小さな顎を手に取る。
 それを合図にゆっくりと瞳を閉じたミゥに、俺は口付けた。
「!?」
「ん……」
 ネイの息を呑む音と、ミゥの甘い吐息を耳にしながら、俺は舌をミゥの口内に侵入させる。
 ミゥの小さな口内を這いずり回る俺の舌に、彼女の小さな舌が絡まってくる。
 交じり合う唾液。
 無味だった俺の唾液に、ミゥの唾液が混じって甘みを帯びてくる。
「ん、んん……」
 彼女の顎を持ち上げ、絡み合うお互いの舌を伝わせて唾液を流し込む。
 ややあって耳に届く、こくこく、と俺の唾液を嚥下する彼女の喉音。
 視界には蕩けた表情を浮かべる彼女の顔。
 それらが小さな彼女をより愛しく思わせる。
「ん、あ……」
 数十秒に渡る口付けを終え、唇を離す。
 どちらのものとも分からなくなった唾液が俺と彼女の間に名残惜しげに糸を引いた。
「ん、ご主人様……」
 甘い吐息と共に、上体を強く寄せてくるミゥ。
 どうやら早くもスイッチが入ってしまったらしい。
「こらこら。流石にネイの見てる前でする訳にもいかんだろ」
「むぅ……」
「我慢の出来ない子は嫌いだぞ」
「む、うぅ……」
 目を潤ませて小さく唸ると、やっと諦めたのかミゥは名残惜しげに上体を離した。
 唾液に塗れた唇を指先で拭い、舐める。
 俺と彼女自身の唾液の味に何を感じたのか、もぞり、ともどかしげに身体を揺らした後、小さく笑ってベッドから、ひらり、と飛び降りた。
「ネイ、お風呂の準備が出来たらご主人様が入るのを手伝ってあげて下さいねー」
「え、あ、は、はい」
「風呂って、大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよー。その妖精風邪に罹ってる間は、自然界の殆どの病気は発症しないはずですからー」
 それではまた後ほどー、と言ってミゥが部屋から消える。
 何だかな、と思いつつ隣に目を遣ると、ほぼ同時にこちらを振り向いたネイと視線が合った。
「……」
 どこか呆然とした表情でこちらを見つめてくるネイ。
 ややあって、その顔色がまた急速に朱に染まった。
「も、申し訳ありません! ひょっとして私、お邪魔を……」
「いや、この場合は助かった。流石に今の状況で体力を使いたくない」
 ミゥに誘惑されて一度身体を交わったら、一回や二回で済ませられるほど俺の理性は強くない。
 安堵の吐息を吐いていると、ネイは顔を赤くしつつもこちらを見て、
「でも、凄かったです、さっきの…… ピアやヅィとも、あんな感じなのですか?」
「さっきのって、キスの事か?」
「は、はい」
 少し唸って、彼女達との情事を思い出す。
「いや、あそこまで俺のを飲みたがるのは今のところミゥだけだな」
 というか、単にミゥ以外とはまだ回数が少ないから何とも言えないだけなのだが。
「そ、そうなのですか…… 美味しいのでしょうか、唾液って」
「自分では流石に分からないな。 ……飲んでみるか?」
 興味津々といった様子の彼女にそうふざけて言ってみる。
 羞恥心の強い彼女の事だ。顔を真っ赤にして断るだろう。
 ――と思ったのだが。
「え、あの、いいのですか……?」
 なんていう、意外な答えが返ってきた。
「あ、いや。君さえ良ければ、の話だが?」
「あ、はい。私は全く…… では、お言葉に甘えて」
 言って、彼女がベッドの上、俺の頭の横に移動してくる。
 ちょっと何かズレてないか、などと思っている間に、気が付けば彼女の端正な顔が目の前にあった。
「――で、では、失礼致します」
 そう言うと同時、柔らかな感触が俺の唇に押し付けられた。
「ん……」
 視界を小さな額と血のように赤い髪が覆う。
 その下で、彼女は穏やかに瞳を閉じ、ゆっくりとした吐息を漏らしながら、俺の唇の感触に浸っていた。
「ん、ふ……」
 小さな舌が俺の唇をなぞってくる。
 人間とは違う、やや高い熱を伴った舌。
 それが、俺の唇の形を探るように恐る恐ると這いずり回る。
「ん、んっ……」
 ややあって、小さな舌が口内に入り込んできた。
 最初は歯に触れては離れ、触れては離れ、を繰り返していたが、それがやがて落ち着いた動きに変わる。
 そのタイミングを狙って、俺は自分の舌を絡ませた。
「!? んっ、ん…… ん、ん」
 突然の事に彼女の舌は驚いて引っ込んだものの、すぐに俺の舌だと分かったらしく、またおずおずと絡んでくる。
 そしてゆっくりと始まる、唾液の交換。
 少しばかり温度の高い唾液が俺の舌に絡む。
「ん、ふ、ん、んん……」
 たっぷりと十秒ほど。
 お互いの舌をたっぷりと絡ませた俺と彼女は、どちらともなく離れた。
「ん……」
「……どうだ?」
「確かに、美味しいです。ご主人様の……」
 どこか恍惚とした表情でそう言う彼女。
 不意にその喉が小さく動いて、俺の唾液を嚥下した事を知らせる。
 しばしその妖艶な姿を見つめていると、不意にまた彼女と目が合い――
「――っ!」
 ぽん、と。
 そういう擬音が妥当と思えるような勢いで、彼女の顔が真っ赤になった。
「……大丈夫か?」
「あ、あの、わ、わ、私、その、あの、これは」
 先程の妖艶な姿は何処へやら。
 我に返り、両手を胸元でぶんぶんと振って必死に弁解を試みる彼女。
 そんな彼女の様子が可笑しくて、つい笑みを浮かべる。
「……っ! し、失礼しますっ!」
 笑われた事で恥ずかしさの頂点に達したのか。
 ネイはベッドから飛び降りると、一目散に部屋から逃げ出してしまった。
 俺は笑いながら上体をベッドに寝かせる。
 途端、先程までのやり取りで疲れていたのか、大きな欠伸が出た。
 一眠りする為にベッドに深く身体を沈めながら、思う。
 これから先、何も遠慮することなく彼女達との暖かい付き合いが続くのなら。
 俺は恐らく、人間の中で十指に入る幸せ者だろう、と――

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GJでした

まずは全員分(?)おめでとうございますw
続き期待してますので、頑張ってください
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